コラム

「辻ちゃん」が結婚した。3連投でハロプロの話題で恐縮だが、これは一言書かざるを得ないだろう。

元モーニング娘の「辻ちゃん」こと辻希美が、なんと結婚を発表した。しかも妊娠二ヶ月というオマケつきだ。

「普通の女の子になりたい」

かつてのアイドルは、「普通の女の子になりたい」等と言って引退していった。アイドルは実際、普通の人間ではないからだ。端的に言えば、アイドルは基本的に恋愛を禁じられている。聞くところによると、契約書にそれが明記されている場合もあるという。

しかし、現在のアイドルは、そんな約束事などはなから存在しなかったかのように、いや、それが壁として立ちはだかっているからこそ、それを力技で乗り越えていく。かつてのアイドルが、塀を守る門番に伺いを立てて出て行ったとするなら、彼女達は棒高跳びか、トンネルを掘って大脱走するか、だ。そもそも、塀だけあって出口はないのだからそれも必然かもしれない。

できちゃった婚に対する反応

基本的には結婚も出産もめでたいことだとは思う。それにしても僕がどうにも手放しで「おめでとう」と言えないのは、仕事の途中放棄はともかく、これがいわゆるできちゃった婚だからだ。最近では、この「出来ちゃった婚」の率がどんどん上昇し、抵抗や偏見も少なくなっていると聞く。
調査によると、1980年に12.6%だった「出来ちゃった婚」の割合は、2004年度には26.7%まで上昇しているそうだ。
だが、やはり物事には順序というものがある。責任感のある男ならば、そうした状況にはならないはずである。離婚率も高いという話も聞く。状況に流されて結婚するのと、家族になることを決めて結婚するのとでは意識に大きな違いがあるだろう。(とか言いつつ、自分に万が一のことがあったら困るからあんまり言わないでおこうかな)

縛られた祝福からの開放

しかし、これはあくまでも通常の人間の場合。彼らは、結婚することは即営業活動の停止や、場合によっては商品価値の低下につながるため、事務所からそういった基本的人権を抑圧されている。代わりに付与されているのが、神権とでも言おうか、偶像(アイドル)としての人格なのだ。

その権利は、人々に無償の希望を与える尊い使命ではあるが、これはそもそもが神の所業である。生身の人間にいつまでも続けられるものではない。そして、もしもその座を降りたいと願うならば、それは楽園を追放される道しかないのだ。

恋愛を禁じられながらも、恋愛の歌しか歌うことを許されない。それがアイドルという存在だとするならば、そんな“呪われた祝福”からの開放、それが僕が見出すこの結婚の意味である。

そして時は動き出す

かつて僕らは、「時よ止まれ」と願った。彼女達はこれまで十分過ぎるくらいに、その不可能ともいえる期待に応え続け、多くの人々に生きる希望を与え続けた。そして時は動き出す。僕らの2000年代は、今度こそ本当に終焉を迎えたのだ。

ありがとう。そしておめでとう。

(櫻木)