歴史と日本

(皇軍兵士に聞く -1-)
聞いてきたシリーズ第一回。靖国神社に行って、戦争経験のある元戦士達に話を聞いてきました。

語り手:元帝国陸軍 自動車隊第七連隊所属 上等兵 Y氏

Y氏は、大正九年生まれの89才。当時、満州の孫呉という街に駐屯していたそうです。最初、白い制服の人たちが集まっているので「旧海軍関係の人に違いない!」と早合点して話しかけたら、旧軍のラッパを吹く会の制服でした。(おかげで最初は話が全くかみ合わなかった。)

――では少し当時の話など教えていただけますでしょうか。
「いいでしょう。じゃあなんでもアナタの好きなことを聞きなさい。聞いてくれれば私はそれに対して答えるから。」

「所属は自動車隊七連隊。満州第527部隊とも言ったな。この自動車隊というのは補給が主任務で、そんなに数は多くなかった。大体4個中隊くらいだ。」

「あんたらは知らんだろうけど、当時中国には満州国と言う国があった。日本からみんなで行って、向こうの皇帝を立てて作った国だったな。大変な苦労をして…。残っていたら、今頃も立派な国としてあるはずだ」
――治安も安定していて、いい所だったと聞きます。
「いいところだった。」
――惜しいですね。
「ああ、惜しい。」

「補給任務だから、戦闘はしない。訓練だけ。階級も私らなんかは上等兵までだね。大体ラッパは上等兵くらいまでが吹くの」

「現役兵は、大体3年くらいで内地に帰る。ラッパは最初の3ヶ月で全部の曲を覚えさせられるもんだ。でもみんな吹けるようになる。今だったら、できなくても『できません』で済むところだけど、当時はそうはいかない。」

ラッパ吹きとは、兵営生活の中で、起床、食事、就寝などの生活の節目、はたまた突撃時などに、片手で拭ける軍隊ラッパを吹いて号令の役割を果たす、信号兵の一種です。
「兵隊サンハ、カワイソネー。マタ寝テ泣クンダネー」(就寝ラッパ)
など、節をつけて歌われることが多かった。歌詞は部隊、地域によって異なる。

「今でもみんな聞いたことあるんだ、実は。征露丸のコマーシャル。あのラッパの音ね。パッパカラッパ、パッパカラッパ、パーパパッパッパー。あれは食事時のラッパだよ。」
――おお、知りませんでした。

――それで今、ラッパの音を保存する会をされていらっしゃいますが、現在の自衛軍にはラッパは無いんですか?
「自衛隊にもラッパはあるんだけど、あれは音が違う。ぜんぜん違う。あれはアメリカ式のやわらかぁく吹くラッパだね。
日本軍のラッパの音は、もっと強い音。本当はこの音でやってほしいんだけど、ダメだって言うんだ」

「自衛隊が出来るときに、旧軍方式はとにかく排除された。昔のラッパなんて使うと、それは軍国主義でいかん!と言うんだね…。
だからこうしてここで、毎月一回集まってラッパを教えているんだよ。」

(横から別の男性)
『おい、良かったなおめえ。この人はよ、日本で最後の本当のラッパ吹きだ。このYさんが死んじまったら日本のラッパは…』
「終わりだね。無くなる」

この会は、思想的な主張を掲げているわけではなく、政治的活動をしているわけでもなく、ただラッパを吹くための会でした。
主義主張を超え、善悪もなく、伝統を伝統として後世に伝えようとする。それを残せば役に立つとか立たないとか、実用性も関係ない。それは極めて文化的です。
ある種の伝統文化として、これからも有志の手で吹き続けてほしいものだと思いました。

毎月第二日曜日の14時、靖国神社の境内で演奏行進を続けているそうです。

・参照リンク
信号ラッパ – Wikipedia

(櫻木)