コラム

『劇場用 ヱヴァンゲリヲン -序-』がヒットしているらしいですね。かくいう僕も見に行った。大興奮しました。

一緒に行ったのが、24歳の女の子だったのですが、エヴァはその放映からちょうど10年。つまり彼女は、リアルタイムのときはまさにシンジ君たち適格者と同じ14歳だったのです。


当時、高校受験を控えていた彼女はエヴァを夏休みに一気観し、「シンジ君の気持ち、分かるよ…!」と補完されていたらしいのですが、10年経って、劇場版を観終わってからの彼女の感想は「シンジ君にいらついた。何考えてるのかぜんぜん分からない。ミサトさんは大変だなあと思った。」というものでした。

年齢の変化、成長に応じて、シンジ君への共感から、むしろミサトさんへの共感にシフトしている。いやこの変化も実に感慨深いというか、エヴァという作品が実に優れて思春期の中3男子の心情を描写していたのか、ということの証左ともなりますね。

そして僕はというと、10年経ってやはり変わっていました。この10年で、日露戦争から大東亜戦争に至るまでの日本の歴史、戦争の意味、そして戦場でのドラマを収集し、学習した結果、そのあまりの深刻さと重厚さ、圧倒的なドラマ性に打ちのめされてしまった。大東亜戦争のスケール感とドラマ性は、半端ではない。

すると「戦いのドラマ」として見たときのエヴァは、スタイリッシュで格好良い映像としてしか捉えられなくなってしまったのでした。もちろん使徒やエヴァの描写、各種メカニックなどの描写、魅力的なキャラクターたちは大好きなので観ていてとても面白いんですけど、「入り込む」ように観ることはもうできないと思います。それは最早、ファーストガンダムにしてもそうでしょう。(エヴァを何の物語として捉えるか、という問題でもありますが)

でもエヴァンゲリオンという物語世界は相変わらず大好きで、あれ以来ずっとエヴァごっこ(エヴァのせりふで会話する、暗誦する)をしています。

(櫻木)