時事問題

悪趣味な醜聞報道に物申す

香川の祖母・姉妹3人殺害事件で、犯人は祖母の義弟だったことが明らかになった。この事件では、マスコミ(TVリポーター)の、あからさまに父親を犯人扱いするフィルターをかけた上での報道が、実に不快だった。あるリポーターなどは、父親に「発見から通報まで1時間も空いてますけど、その間何をしていたんですか?」等と詰問口調で聞いていた。「事件を解決したかったら、我々に情報を提供してください!」と要求するに至っては、開いた口がふさがらなかった。

そして案の定、犯人は父親ではなかったわけだが、腐ったマスコミは自分たちの予断はあっさりとなかったことにして、今度は被害者周辺の人間関係をほじくり返すことに血道を上げ始めた。

殺人事件がそんなに大事か?

秋田連続児童殺害事件(畠山鈴香被告)の時にも僕は非常に疑問に思ったが、こんな事件を報道して、いったい何になると言うのだろうか。こういうことを言うと、おそらくマスゴミは「国民の知る権利を云々…」等と言い出すのかも知れないが、殺人事件の真相ってそんなに知りたいか? たとえば指名手配犯の顔写真が公開されて捜査の進展に寄する、とかでもない限り、社会的にも何ら意義がない気がする。

近年、凶悪な少年犯罪が問題視されている。しかし、たとえば敗戦直後の混乱期に比べても、件数ではそれほど変わっていないという話もある。犯罪は発覚、摘発されなければ数字に残らないので一概には何とも言えないが、もし事実に反して「増加している」というイメージを我々が抱くとしたら、それは報道が増加しているからだろう。

不穏な犯罪報道が、模倣犯を生み出し、人心を荒廃させる原因となっているのだ。オレオレ詐欺(振り込め詐欺)の増加などは、模倣犯の最たる例だろう。

知る権利ってなんだ

国民には確かに「知る権利」はあるが、何を知らせるかの選択権は第三の権力機関たるマスコミにある。「視聴率や部数で国民が選択している」という指摘もあるかもしれないが、「国民=消費者」は完全にイコールではないはずだ。

特に新聞は、ご大層にも「天下の公器」などを自称するならば、もっと世の中のためになり、戦後日本の民度を上げるような報道をして欲しい。

国民に「知る権利」があるとしたら、それによって存在を許されているマスコミには、「知らせる義務」がある。

殺人犯どもの「心の闇」なんぞよりも、沖縄教科書問題、外国人参政権問題、日本社会に巣くう暗黒利権の闇、近隣諸国が日本に向ける悪意など、国民に知らせるべき真相はいくらでもある。

人心をいたずらに不安に陥れ、消費者のゴシップ趣味のみをあおり立てる悪趣味な報道をするマスコミの姿勢こそが、現代社会の暗部なのだ。

(櫻木)