時事問題

近代五輪の歴史

「オリンピックは、古代ギリシャから連綿と続く平和とスポーツの祭典であり、聖火リレーは当時から受け継がれてきた伝統である。」

○か×か。

ブブー、答えは×。紀元前9世紀から行なわれた古代オリンピックは4世紀頃に終焉を迎え、今行なわれている近代オリンピックは、100年ほど前に復活させたものである。

ベルリンオリンピックの意義

近代五輪は1936年に転換点を迎えた。この年、ベルリンで行なわれたオリンピック、世界最大の政治ショーとなった。

ヒトラーは五輪を、「ナチス政権は平和的で、人種差別もなく、素晴らしい民族的組織力を持つ近代国家である」と世界に対してアピールするプロパガンダの舞台と位置づけた。

宣伝の天才・ゲッベルス

こうした路線を強力にプロデュースしたのが、かの有名な宣伝担当相ゲッベルスだった。

ラジオ、テレビを導入した組織的な報道も、ベルリンオリンピックでナチスによって初めて採用された。ベルリンの大通りはハーケンクロイツの旗を持って動員された群衆であふれかえり、当時世界最大の規模だったメインスタジアムへと走る聖火ランナーというセレモニーは、「ドイツ第三帝国」の力を誇示しながら華々しく世界に報道された。

そしてこの聖火リレーを考案したのも、ナチスドイツだった。ギリシャからベルリンまで3000キロの肯定はナチスの宣伝省によって綿密に下見がされ、万が一にも妨害がされないよう、そしてドイツ国内のコースは壮麗な演出が施された。

このリレーは、単純にナチスドイツの組織力と技術力を見せ付けるためではなく、ヒトラーが優秀民族としたアーリア人が、古代ギリシャ人の直系の子孫であることを印象付けようとした演出だった。

灯火リレーの伝統

ゴールでは、はるばるギリシャから運ばれてきた灯火が灯火台に華々しく点灯されてクライマックスを向かえ、第一回アテネ大会のマラソン優勝者から、ヒトラーにオリーブの枝を恭しくささげられた。

ギリシャの古都オリンピアでの採火、トーチによる灯火リレー、開催地首都での聖火台点火。この劇的な「伝統行事」は丸ごと、ベルリンオリンピック以来の示威行動的な国家発揚イベントの伝統だったのである。

ナチスの悪行と、灯火リレーのイベントとしての完成度は別として考えてもいい。実際、ベルリン以降のオリンピックでも一様に採用された。そして中国による北京オリンピックには、軍事覇権主義と、民族浄化というナチスが持っていた最悪の部分まで受け継いでいる。これを悪夢のオリンピックといわずして、何と言おう。

「聖火」って何だ?

ついでに言うならば、この灯明を持ったリレーを「聖火リレー」等と読んでいるのは、日本だけである。あの火には何らの聖性もない。例えば英語では単なる「Flame」。炎でしかない。(よって朱雀式では「灯火リレー」と呼ぶ。)
olympic flame – Google イメージ検索

「聖火リレーは平和の象徴」と言っている人は、根本的に勘違いしている。オリンピックの灯火リレーは、戦争と民族弾圧の象徴である。

(櫻木)