時事問題

「トップランナーで気持ちよかった。公道に出たらずっと坂道だったので大丈夫かなと思ったんですが、何とかなりました。走る前から(妨害行動は)何もないと思っていたし、すんなりと走れて、冷静でしたよ」

 途中、沿道で声援を送ってくれていた明大時代の知人夫婦に気付き、手を上げるシーンも。「あとは北京で頑張るだけです」と大きな期待が懸かる8月の北京五輪での金メダルに集中していく。

 ただタレントの萩本欽一に紙束が投げられ、卓球の福原愛には台湾籍の男が乱入するなど妨害行動があったことには困惑。「愛ちゃんには“男性が言い寄ってくる年齢になったんだよ”とジョークを言って慰めたつもりだったんだけど、かなり青ざめていたし、怖がっていたね」と残念がっていた。
星野監督は冷静に第1走者務める(社会) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース

星野監督は、ファンからは「男・星野」と呼ばれ、マスメディアにおいても社会の矛盾を的確に指摘する発言をするなど、直言居士として知られる人だった。以前、氏のマスコミ批判発言をここで紹介したことがある。(星野監督の正論 – 朱雀式)最近でも、毒ギョウザ問題について「日本人は中国に対しても韓国に対しても、本当に腰が引けてる。言うべきことは言わなければならない」と発言して喝采を浴びた。

そのためか、今回の灯火ランナーについても、辞退したりなんらかの発言をしたりすることが期待されていたのだが…。

しかし星野氏は特に何らアクションを取ることなく、「すんなり」走った。

ところが実際は、星野氏が出走したのはサムソンのスポンサー枠。星野監督が直接金を受け取ったわけではないだろうが、広い意味で言えば五輪を支配する商業主義に、星野監督もまた絡め取られているだけだったのだ。

だが自身のサイトでは「国からの委任というか国の命令で、聖火リレーのランナー役も粛々と 務めることだけを考えている」等とつまらない言い訳に終始していた。

しかもこの発言。

「愛ちゃんには“男性が言い寄ってくる年齢になったんだよ”とジョークを言って慰めたつもりだったんだけど、かなり青ざめていたし、怖がっていたね」と残念がっていた。
星野監督は冷静に第1走者務める(社会) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース

このつまらないオヤジジョークも残念ではあるが、その「言い寄ってきた」等と揶揄した男性は、亡命チベット二世だった。

あの涙ながらの絶叫は、全く届かないのだろうか。残念である。

 男は、台湾に住む亡命チベット人2世の古物商、タシィ・ツゥリンさん(42)。「私はオリンピックに反対しているわけではない。ただ、チベットの惨状を全世界に訴える絶好の機会だと思っている」。この日朝、沿道の別の場所でチベットの旗を広げていたタシィさんは記者にそう話していた。

 タシィさんは、中国のチベット侵攻後の1959年、チベットからインドに亡命し、その地で生まれた。紛争は直接経験していないが、父親の壮絶な体験がタシィさんの心に刻み込まれている。

 父親は紛争の最中、政治的理由で中国公安当局に拘束され、死刑を宣告された。しかし執行の前日、一か八か、小さな窓から絶壁に向かって飛び降りて脱走、一命を取り留めた。その後、夫婦で当時7歳だった兄を連れて2週間かけて、命からがらヒマラヤ山脈を越えたという。

 「チベット独立は両親の悲願でもある。それを実現するためには、残りすべての人生を犠牲にする覚悟がある」

 チベット難民として暮らしたインドでは、常に「どこにも所属しないホームレスのような感じだった」。しかし、ダライ・ラマ14世の言葉に接し、考え方が変わった。「チベットはチベット人のもの。暴力を使わず、平和的に訴えることで、私たちの『自由』を取り戻したい」。

 タシィさんは25日夜に長野入り。タイの聖火リレーでも抗議活動に参加したが、そのときと比べると、日本のほうがチベット支援者が多いことに驚いたといい、「応援してくれる日本のみなさんに感謝している」と述べていた。
「フリーチベット」の叫び届かず亡命2世 泣きながら乱入 聖火リレー (1/2ページ) – MSN産経ニュース

(櫻木)