田母神論文『日本は侵略国家であったのか』 HTML起こし

ホテル・マンション経営企業のアパグループが主催した「真の近現代史観」をテーマした論文で現役航空幕僚長(空軍大将)の田母神氏の論文が最優秀賞に選ばれ、その内容が物議を呼んでいます。
いや、果して物議になっているのでしょうか。事態が発覚した途端に田母神大将は更迭され、各紙が一斉に弾圧の声をあげています。

しかし、その論文の内容を見てみると、決して各紙や野党、公明党が口を極めてののしるような不適切なものでも、いい加減なものでもありませんでした。多少なりとも先の大戦について勉強している人ならば、大方は首肯できる内容のはずです。

論文はこちら(アパグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文募集)に、PDF形式で全て掲載されていますので、まずは読んでみていただきたいと思います。
物書きが本職の方ではないため、確かに文の運びや構成に拙い部分はありますが、おそらく自衛官を志してから今まで、ずっと鬱屈した思いを抱えてこられたのでしょう、その真情がよく現れています。また当時の国際情勢を巡る事実関係についても、最新の説にも従い、何らおかしなことは書かれていません。

PDF形式では読みづらい場合もあろうかと思い、勝手にHTML形式で小見出しをつけて整形させていただきましたので、PDF嫌いの方はご参照ください。
(見出し・強調 筆者)

日本は侵略国家であったのか

田母神俊雄

アメリカは日本を侵略しているか

アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない

日本は蒋介石によって日中戦争に引きずり込まれた

この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

張作霖列車爆破事件、廬溝橋事件

1928年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。マオ(誰も知らなかった毛沢東)ユン・チアン、講談社)、黄文雄の大東亜戦争肯定論(黄文雄、ワック出版)及び「日本よ、歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争(岩間弘、岩間書店)。
もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

日本の「植民地」統治

我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932年1月には3千万人の人口であったが、毎年100万人以上も人口が増え続け、1945年の終戦時には5千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年の大阪帝国大学、9番目が1939年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。

日本は朝鮮人、中国人を尊重した

また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク)という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。
朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源(キンソグォン)大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽(カオウキン)もいる。

 李王朝の最後の殿下である李垠(イウン)殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子(まさこ)妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。
また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀(フギ)殿下の弟君である溥傑(フケツ)殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

国際社会で唯一、人種差別撤廃を考えていた日本

 これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から五族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

対中融和外交こそが我が国の基本方針

 時間は遡るが、清国は1900年の義和団事件の事後処理を迫られ1901年に我が国を含む11カ国との間で義和団最終議定書を締結した。
その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会)」。また1915年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4年後の1919年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編(渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京の日本軍は、6年後の廬溝橋事件の時でさえ5600名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会)」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

日米開戦の背景にコミンテルンの影

 さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。
ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943年から解読作業を開始した。そしてなんと37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。

ルーズベルトの罠にはめられた日本

これによれば1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。
ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。

日本が戦い、世界が変わった

さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。
日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2,第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。
強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

大東亜戦争は犬死にか

一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。
しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。
現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は60年以上不法に占拠されたままである。竹島も韓国の実行支配が続いている。

東京裁判のマインドコントロール

東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。

アジアで評価される大東亜戦争

自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

日本人よ、誇りと歴史を取り戻せ

日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。
私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。

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8 Responses to “田母神論文『日本は侵略国家であったのか』 HTML起こし”

  1. Says:

    水を差すようで申しわけないのですが、これはいけません。この問題に関しては更迭はおろか馘首、罪科処罰でも良いぐらいだと思います。

    そもそも同じ軍関係者であっても、軍政に携わる者でなく軍令に携わる者、それも軍を指揮する立場にある軍人が個人の政治的意見を公器に公表するようなことは厳に慎まなければなりません。
    ましてその意見がある程度以上世論に受け入れられるものならなおさら、もってのほかです。
    軍令に携わる者は上官と、そのさらに上官といえる国家国民に対して、厳格な命令系統に基づく責任を負っているのです。

    実際に日華戦や先の大戦においては、軍令に携わる軍人達が憂国心に駆られたあげくに、こういったかたちの世論の支持と統帥権の独立をたてに現役のまま軍政の指導者を兼ね、最終的には行政立法の主導権まで握った結果、
    「個々の戦闘の勝利が作戦の勝利につながり、個々の作戦に勝ち続けることが(政治的行為である)戦争の勝利をもたらす」
    という実に政治素人の軍人らしい単純な論理で戦争指導が行われ、無条件降伏という形で悲惨な敗戦をもたらしました。
    しかも国の滅亡という最悪の事態を避けられたのは軍関係者のおかげではなく、ひとえに超法規的な聖断にかかっていたのはよく知られているところです。

    現憲法下では聖断はありえません。だからこその文民統制なのであり、彼の行為は武官としての立場をわきまえない亡国の行為なのです。

    無論、彼が退役して一般人、もしくは議員や軍政側の防衛大臣なり何なりとなってこの発言をするなら何ら問題はありません。
    元軍司令官の発言としてそれを不快に思う者もいるでしょうが、現役武官でない以上議論討論の対象となることこそあれ、それを一方的に責めることは誰にもできません。これは言論の自由の問題です。

    ですから、この問題を歴史認識や史観の問題にすり替えて、
    「当然、わが国は中国について、侵略をしたというか、迷惑を掛けたことは間違いない。韓国、朝鮮を植民地支配したことも間違いない。(論文は)私が認識している事実とは違う」(直嶋正行)
    「参院で深く掘り下げて、二度とこのような発言をする人が政府の中にいなくなるよう戦っていく」(鳩山由紀夫)
    などと発言する野党の行為は幼稚なまでに的外れな、選挙目的の単なる卑劣なアジテーションにすぎず、まともに反論する対象にもなりません。

  2. ろぼと Says:

    これも、最近の正論を言ったら「失言」というものですよ。

    今回の場合、論文の内容に嘘は書いていない。事実は事実なのだ。
    「失言」というものが「国家公務員としての立場上の失言」という意味にしないと、ただの言論統制。

  3.   Says:

    小生は、栗栖統幕議長(陸大將)の「超法規的手段」更迭を思ひだした。小生、未だこの世にあらざりし時なれど、苟も竹村健一氏の著作で知つた所である。
    彼の時は、少なからず日本の國防論を變へる切掛となつた。今囘も、田母神氏の首ひとつで日本が變はれるとすれば、彼は甘んじてその代償を支拂ひ給ふと私は愚考する。

    軍令に携はるなら尚更、政治的發言はすべきだらう。政治の概念が曖昧だが、我が國の憲法では立憲・行政・司法の三權を定義してゐて、これの方針をどうするかが「政治」であると私は考へる。
    危險なのは實際に現場で武器を扱ふ連中を掣肘できない上に、國民がそれを疑問に思はぬことではないか。帝都不祥事なぞ二度と御免である。

    事實と一般に認知されぬ内は、幾ら正論であれさうは通らない。然し、それを憂ひつつ、地道に理解を得ることは必要だ。
    論文を發表することは自由であるべきだ。それが如何な内容であれ、研究とは誰しも自由に行なふべきである。「上から言はれた事だけをするな」と言ひつつ、自分から意見を呈すれば「政治に口を出すな」と批判する、何とも身勝手な論理ではないか。彼こそ官僚の鑑である。
    政治とは、三權に携はる全ての者と、民主主義を信ずる全ての臣民・國民[Citizen]、それから立憲君主であるから今上陛下と共に考へてゆくべきものだ。

    國民は無知であり、且つ關心はない。まづ關心を惹かせねばならぬ。それからの議論であつて、今の結論ありきの報道では、果して國益たるか疑問を呈せざるを得ぬ。

    田母神氏に政治能力は無い。權謀術數渦巻く「政治」の世界では、正論だけでは生きのこれない。なぜなら政治とは妥協の産物であつて、正論より大多數の支持し得る論が通る世界だからだ。だからこそ、正論や信念を感ずる政治家及び政治發言には、その人間性に敬意を評さねばならぬ。

    cf.それから、御聖斷は今でもあり得る。何故なら立憲君主だからだ。
    御聖斷にも色々ある。陛下の御意嚮を伺ふ時、ただ意見を仰る時、敕を願ふ時、ただ敕・宣命を發せられる時。
    御意嚮を伺つた結果、陛下の意見であるから誰も反對できないために何とか終戰できたのが、先の御聖斷である。

    文民統制(シビリアンコントロール)とは、軍人が軍を統制せぬやうにする基本方針であつて、聖斷とは何ら關係がない。今や「軍人は政治的發言をするな」と解釋されてゐるさうだが、大きな間違ひである。軍人より軍事に詳しい存在は無いのだから、國防を考へるなら彼らの意見は眞摯に受け止めねばならぬ。致命の間違ひや外交上の問題があるならば、どう平衡を取るかを議院や内閣が判斷すればよい。

    たとへば帝國海軍には艦隊派も居たし、條約派も居た。艦隊派は一重に軍事だけで考へれば今のままでは危險だ(早期決戰早期終戰)と主張したし、條約派は外交上の問題が在るからと主張した。どちらの意見も正しかつたけれど、それは彼らが自身の職務のみから生じる問題を主張したからだ。艦隊派は外交で解決できぬから軍事でと、條約派は戰爭で凡そ勝てぬから外交でと。この矛盾する課題を解決するのが内閣であり議院なのだ。

    また、私は承認の元では文民統制は破られてもかまはぬと愚考する。軍人にも政治手腕がある者は少なからずゐて、軍事手腕も兼ね揃へてあれば常に最前線に出れるからだ。
    軍ならずとも組織で大切なのは適材適所であつて、かつての眞珠灣攻撃に於いて山本大將(元帥閣下、作戰立案者)が忙しいからと代はつて南雲中將が派遣された二の轍は踏んではならぬ。

  4. Says:

    彼の「滅私の善意と愛国心」こそが問題なのだと考えます。
    もし彼が、処罰されることを覚悟の上で、世に警鐘を鳴らすべく持論を公表したのだとすれば(どうも報道を見る限りそのようですが)、それに対して当然あたかも彼のことを国のことを想う殉教者のごとく思い込む人々が必ず現れます。
    そして世論の支持のもと、なし崩し的に軍令に携わる武官がそういった行為を許されるようになる、それこそ上記のごとくそれこそが大日本帝国を敗戦という最悪の結末に導いた最大の原因であったと考える次第です。
    あえて極論苦言を呈するならば、私の観るところでは彼の行動は殉教者的な英雄像にあこがれた自己陶酔であり、最終的に世論から指弾されるまでに至った反日本勢力に洗脳された過激派左翼青年達の行為と、その動機付けにおいて同程度のものと考えられるのです。

    また、立憲君主制という用語の解釈に相違があるようですが、立憲君主制とは単に元首として君主をいただく国家形式をあらわすに過ぎません。
    聖断という用語に関しても、陛下のすべての意見表示や勅令をそれに含めてしまうならば、奉勅であるところの大陸命大海令の類はすべて聖断となってしまい、敗戦の結果責任はすべてそこに負わせられることになります。
    そういった意味において私は終戦の御聖断をもって超法規的な聖断と考える立場をとるものであり、現憲法の体制では、君主による統治権の総攬と軍の統帥権が規定されていない以上、やはり聖断はあり得ないと言わざるを得ません。

    もうひとつ、「事実」という言葉をあまり安易に使われない方が良いかと存じます。
    戦後反日勢力の誘導によって洗脳教育がなされていた頃、その当時の若者にとっては、北朝鮮は地上の楽園であり、共産主義こそ人類の必然として行き着く先だということさえ「事実」だったからです。
    そのような「事実」のおかげで祖国日本が被った被害がいかほどのものだったかは皆さんご存じのとおりでしょう。

  5. 桜木 朱雀 Says:

    >蛙さん
    水を差すどころか、重要かつ詳細なご指摘ありがとうございます。確かにご指摘の通りの部分はあるかと思います。しかし「だからこそ問題」であり、「だからこそ壮挙」でもあるのではないかと思っているのです。これについては別項『田母神事件は国防の危機か-朱雀式』でも書いたとおりですが、日頃軍人扱いせず、虐げておきながらいざ問題があれば軍人として扱うというのには少々無理があるものと存じます。

    「北朝鮮が地上の楽園である」というのは、もちろん「事実」ではありえません。だからこそ、事実・真実の追究が重要な意味を持っているのではないでしょうか。

    >ろぼとさん
    まさに「物言えば唇寒し秋の空」、といったところでしょうか。
    そこをあえて触れられたくない人が、内容に意識的に触れずに流そうとしていますね。

    >名無し先生
    含蓄あるご意見ありがとうござゐます。
    私も、空将があえてこの意見を世間に発表しなければ、まず世間の関心がこの議論に振り向けられることもなかっただらうと思ひます。
    今までにも「王様は裸だ」と何人もの人が叫びましたが、世間的にはことごとく黙殺されてきました。栗栖「超法規」発言のときのやうに、日本の真つ当なる歴史認識、文民統制、軍の整備などについての議論が深まることを願ふのみです。

  6. Says:

    田母神氏の論文が責められるのなら、村山談話はどうなるんでしょうか。
    村山談話こそ責められるべき問題であり、真実を述べたものが更迭されるのはおかしいと思います。
    検証もせずに叩いてるマスコミは日本の癌ですね。
    この問題に限らず、テレビを見るたびなんとも言えない気持ちになります。。

  7.    Says:

    田母神閣下の論文に事實誤認(といふか陰謀説の類ひ)が紛れ込んであるのは、慥かである。そこまで擁護できぬ。
    然し乍ら、陰謀説が生まれ得るだけの世界情勢であつたのも慥かであり、愼重に眞僞を認めねばならぬ。
    帝國軍をして南京の陷城せしめた時、「城ヲ陷トス」といはば我々は文字通りにとる。然し、支那古典にある陷城とは、城内の人民を虐殺し鏖殺(みなごろしに)することである。南京大虐殺の「捏造」は、このあたりの大陸的感覺に問題があると思れる。
    南京大虐殺を「捏造」と糺彈すべき我々が、陰謀説を史實と捉へて「捏造」してはならぬ。ゆゑにこそ愼重であれ、と叱咤する。

    >立憲君主制
    君主制である限り、專制を敷くことは可能であるはづ。すなはち憲法停止の戒巖令を敷く場合で、これを世に革命と呼ぶことは異論ないと思れる。
    小生は、共産主義革命、共和制革命などが起こりうる餘地もまた、否定しない。實現を一人その民意として(臣下として)認めぬだけである。全ての革命や超法規的手段は、場に在る當事者の問題であるからして、その齒車が廻る方向によつては革命たり得るのである。

    御聖斷は、臣下が陛下の意見を伺ひ「陛下の意見と一致した物だから(お前ら反對するな)」といつて、帝國憲法の範圍内で、内閣が終戰せしめた物。そこまで内閣に力がなかつたのは嘆かはしい事態であるが、それでも猶これは「超法規的手段」ではないでせう。
    勿論、先帝陛下が「あれは」と述懷なさつて居ることも承知してゐる。

    敕が、憲法の規定範圍を逸脱しない限り(正確には帝國憲法第四條の【天皇ハ〔中略〕憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ】に基づく限り)立憲君主であるから、其は「超法規的手段」には成り得ぬ。
    また同時に、帝國憲法第三條には「神聖ニシテ侵スヘカラス」とあるので全ての責任を問ふことは不可能。この條規や第一條が、第四條の「條規ニ依リ」を否定しうる事も理解してゐるが、ここでは其を言及するに留める(それに一般には法律條文は優先順である)。
    帝國憲法での立憲君主制では、統治大權は内閣に「大命降下(組閣の大命)」することで委任される。大權の行使による責任は内閣が(ひいては臣下たる國民が)請け負ふ。
    誰か(君主)の爲に、といふ意識のある點が君主制の良い所であると同時に弱點でありませう。

    小生は革命が嫌ひであるから、天皇機關説(ノ如キ物)を支持す。日本國憲法の「統合の象徴」と留めるだけには多少問題があり得るが、方針としては機關説の燒き直しみたいな物かなと思ふ。

    confer. 大日本帝國憲法(拔萃)
    第一條:大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス
    第三條:天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
    第四條:天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ
    第七條:天皇ハ帝國議會ヲ召集シ其ノ開會閉會停會及衆議院ノ解散ヲ命ス
    第八條:天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル爲緊急ノ必要ニ由リ帝國議會閉會ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ敕令ヲ發ス
    此ノ敕令ハ次ノ會期ニ於テ帝國議會ニ提出スヘシ若議會ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ將來ニ向テ其ノ效力ヲ失フコトヲ公布スヘシ
    第九條:天皇ハ法律ヲ執行スル爲ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル爲ニ必要ナル命令ヲ發シ又ハ發セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ變更スルコトヲ得ス

    敕もまた、憲法に組み込まれてある。第七條から「帝國議會閉會」、第八條の「敕令」を發すること及び「敕令」の議會承諾を經て、第三條がこの責任を「侵スヘカラス」とする。
    ただし、第九條から口答の命令では「法律ヲ變更」まではできぬ爲、これは第四條に基づき、ここに立憲君主を敷くことが確認できる。
    第七條及び第八條の規定は、現在の内閣總理大臣が各大臣を罷免後に兼任できる現状に近いものがある。

    憲法を逸脱しない限り、第三條は生きる。專制となる後には第三條は死文と化し、これを根據に責は無いといふことはむつかしからう。

  8. 桜木 朱雀 Says:

    >零さん
    更迭したとしても、歴史認識の議論すら封じられるというのは、民主主義国家とは言えませんね。この点についても田母上氏の言うとおりです。

    >名無し先生
    コミンテルン陰謀史観といふのは、実際のところどうなんでせうか。詳しくは知りませんが、戦後60年経って、体制の移り変わりとともに新資料が出てきているのは本当でせうから、歴史家には徹底的な検証を求めたいものです。イデオロギイありきで歴史を歪めるマルクス史観の偽専門家は不要です。

    「陥城」に関する御説、非常に参考になります。成る程、対して日本は「敵国の首都を落とせば終戦(=勝利、講和)」と、近代国家としての原則が通ずるものと考えてしまったのが悲劇だったのですね。

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