国際関係

壊滅状態のガザ

四方を国境壁に囲まれ完全封鎖のガザでは、家を爆撃されても行き場がなく、瓦礫の隙間に身を寄せて寝るしかない(米流時評より)

ガザでは、相変わらず人々がギリギリの生活を強いられている。イスラエルは圧倒的な軍事力でガザ地区を蹂躙し、人々は経済封鎖された中、瓦礫の中で何とか生きている。あるいは、瓦礫の中で死んでいっている。
視察した国連の事務官も、あまりの非道さに唖然としたらしい。

事務局長、パレスチナ人の被害実態に唖然

国連人道救援部門のジョン・ホルムズ事務局長は、5日間のガザ地区への視察旅行の皮切りに、イスラエル軍の攻撃によって累積したパレスチナ人の犠牲者の数を「extremely shocking=極めて衝撃的」と表現した。

ガザ政府の保健局長の発表によると、今回のイスラエル軍のガザ侵攻によるパレスチナ人の犠牲者は、死者1300人以上、負傷者4000人以上にのぼった。また人的被害ばかりでなく、ガザ地区全域での建物崩壊など、物質的被害においても甚大なものがある。一方、イスラエル政府の発表によると、イスラエル側の犠牲者は13名であり、そのうち一般市民は4名だった。(注:戦死した9名のイスラエル軍兵士のうち、4名は自軍の誤爆によるもの)

米流時評 : ‘Extremely Shocking’ ガザ壊滅に国連調査団も呆然!

そんな中、日本の作家村上春樹が、イスラエルの文学賞”エルサレム賞”を受けることが決定したそうだ。エルサレム賞とは、エルサレム市長が、「社会における個人の自由」を描いた作者に贈る文学賞とのこと。なんだそりゃ、どんなジョークだ。僕はこのエルサレム賞なる賞を初めて聞いたが、村上春樹は高校の頃にだいぶ読んだので、素直にこう思う。

ああ、残念だな。

なんだろう。好きなマンガのキャラがパチンコに堕したのを眺めるような心持ちだ。

今、この状況で「エルサレム賞」なんていう賞をホイホイもらいにいくのは、ナチスに「ゲットー賞」をもらうとか、中共に「チベット賞」をもらうとかいったようなものではないのだろうか。

この度、村上さんが、イスラエルのエルサレム市が大きく関与している文学賞「エルサレム賞」を受賞なさるということを聞きました。しかし、お祝いの言葉を私は言うことができません。この賞は「社会における個人の自由」を描いた作者に贈られるとありましたが、村上さんがそれにふさわしくないのではなく、贈る側が「社会における個人の自由」を口にする資格がありません。この賞を辞退なさることをお薦めします。

つい先日までイスラエルがパレスチナのガザに大規模な攻撃を行い、その前から経済封鎖を受けて、ほとんどの必要物資に事欠き、重病人はどんどん死んでいったガザをさらに瓦礫の野とし、1300人以上の(しかも3分の1は子どもたちの)人びとを殺したことは詳しく書かなくてもご存知だと思います。攻撃が小止みになっても、ガザは経済封鎖を受けたままであり、150万の人が巨大な監獄と化した場所で生活の糧も失い、なんとか生きながらえています。

(中略)

それはイスラエル政府のしたことであり、文学賞は関係ないと思われるかもしれません。しかし、文学が人間を描くかぎりどこかで政治的であること以上に、文学賞はきわめて政治的なものであり、イスラエルはあなたに踏み絵を差し出したのです。たぶん、村上さんはそのことに自覚的であると推察しています。

この賞がアパルトヘイト政策下の南アフリカのものだったら、果して受賞する文学者はどれだけいるでしょう?

P-navi info : 拝啓 村上春樹さま ――エルサレム賞の受賞について

村上春樹は果たしてこのことに自覚的でいてくれるだろうか。単純に「素晴らしい賞をもらえて光栄です」と通り一遍の挨拶をして帰ってきたとしたら、それは文学者としての村上春樹の終わりとハードボイルドワンダーランドなのではないか。

話の性質上当然のことではありますが、この記事は、「いま、エルサレムで文学賞を受け取ることの意味」についての最上の解説になっています。村上春樹氏以外の方にもオススメです。鈍い人たちは忘れているようですが、エルサレムには占領、分離壁、入植、差別等々、パレスチナ人に対するあらゆる抑圧が揃っている、イスラエルの象徴のような都市です。国際社会から承認されざる勝手首都、という点でも、イスラエルの国際法無視の姿勢を象徴している、と言ってもよいでしょう。ハイファ賞でもテルアビブ賞でもヒドイことには違いありませんけれど、まぁ、よりにもよってエルサレムですか、というくらいの場所ではあります。

村上春樹、エルサレム賞受賞おめでとう!!! – モジモジ君の日記。みたいな。

「ユダヤ人が…」というと、途端に陰謀説っぽいにおいがしてしまうけど、確かにユダヤ人は巨大な資本を有し、アメリカを通じて世界に影響力を行使している。
そこでこんな「ユダヤ不買運動」というスケールの大きな不買運動もある。まあ敵の規模が大きければ対抗運動もスケールが大きくなろうというもの。

「注意深くお金を使うために」
私たちが商品を買うために支払ったお金は、世界のどこかで、誰かを迫害したり殺したりするために役立っているかもしれません。
私たちが商品を買うために支払ったお金は、胸クソ悪くなるような人物を儲けさせているかもしれません。
私たちが買った商品が生産される過程で、誰かが途方もない悲劇を経験しているかもしれません。
私たちは、商品を選ぶことができます。
私たちには注意深くお金を使う責任があります。
イスラエル支援企業リスト

追記

2月17日 羊男のエルサレム | 朱雀式

(櫻木)