時事問題

私は、いつも電車に乗るときは、真っ先に空いている席を素早く探して、即座に座ります。といっても、これは自分が楽をしたいがためではなく、老人や妊婦が乗ってきたらいち早く席を譲るためです。

自分の見ている範囲ですが、日本人ってあまり席を譲らないですよね。通勤で毎日電車に乗っていても、席を譲る光景なんて半年に一回くらいしか見かけない気がします。なので、自分がそのバランスをとるようなつもりで、率先して席を譲っています。だいたい週に1~2回は譲るので、かなり平均値より多いんじゃないでしょうか。

しかし、成功率はせいぜい7割くらいなんですよね。10回譲って3回は失敗する。席を譲られても座らない方がいるから。

「どうぞ、お座りください」と声をかけても、
「いえ、次で降りますから」
とか
「大丈夫ですから」
とか。
あまつさえ、そんな歳ではない、と反論というか言いがかりをつけてくる人までいる!

断ち切られる「善意」

席を譲ろうとして断られると、かなり気まずいものです。「どうぞ」「いいです」「あ…そうですか…」としらけた空気が流れて、譲ろうとした方は気まずい思いをしてもう一回座り直すか、いたたまれなくなって他の車両に移ってしまうか。間の悪いときには、譲ろうとした相手じゃない別のオッサンがちゃっかり座っちゃったりして。出発点はちょっとした善意なのに、なぜこんな目に遭わなくてはいけないのか?

例えばここに、中学を卒業して、高校から電車通学になった15歳の少年がいたとしましょう。15歳と言えば、思春期真っ盛りで自意識の固まりのような年齢です。そんな彼が、あるとき目の前におじいさんを見て、意を決して席を譲ったとします。
ところが、顔を真っ赤にしながら譲ろうとした彼に向かって、おじいさんが「いいよいいよ」と断ってしまったら。きっと彼は居心地が悪くなって、「恥ずかしい」と思うはずです。そうして、初めての善意がこんな風にむげにあしらわれてしまったら、その後二度と老人に席を譲ろうとなんてしなくなってしまうかも知れない。

こうして、善意の連鎖が断ち切られて、日本人はますます席を譲らず、ぎすぎすした世の中になっていくわけですよ。

敬老世代に一言

今日は敬老の日ですが、私はあえてシルバー世代の皆様に一言いいたい!

席をゆずられたら、にっこり笑って譲られておきなさい!
次で降りる? 結構じゃないですか、一駅だけでも座りなさい!
まだそんな歳じゃない? 相手は自分より年下なんだから気にしなさんな!

敬老精神は、敬う側にも、敬われる側にも必要です。
車内アナウンスでも、若者に「お年寄りや体の不自由な方に席を譲りましょう」と教育するのと同時に、老人側にも「席を譲られたら、気持ちよく座りましょう」と指導した方がいいのかもしれません。
あ、もちろん、若者は寝たふりなんてしないで席を譲ろうね。

(櫻木)