歴史と日本

東郷平八郎と乃木希典。
いずれも日露戦争の立役者として、それぞれ陸海で名を馳せた将軍である。

日露戦争の勝利に関し、いずれも、救国の英雄として国民に歓呼の声を持って迎えられ、死後は軍神として神社に祭られるほどの二人だが、その歴史的な評価については未だに意見が分かれている。


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東郷提督

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乃木大将

まず、東郷平八郎提督について。鹿児島生まれのこの将軍は、名参謀秋山の頭脳に助けられ、旅順艦隊、バルチック艦隊を相次いで撃破するという奇跡の大勝利を収めた。まず救国の英雄と言って異論の余地はない。余談だが、かつて明治帝が山本権兵衛に、東郷抜擢の理由を問うたところ、山本は「東郷は運のいい男でございます」と答えたと言う。実際、戊辰戦争、新選組との戦いにおいても、東郷の戦場での運のよさは奇跡的であったらしい。

対照的に、乃木希典は運の悪い男である。運が悪い上に、軍事的才能にも乏しかったといわれている。旅順要塞の突破や二〇三高地の攻略など、主要な戦功は実際には児玉が指揮立案したものである。児玉が来るまで、乃木は伊地知という無能な参謀に引きずられるまま、無謀な突貫攻撃を繰り返させ、多数の将兵と自分の息子を死なせている。
しかし、彼は終生一貫して「徳の人」であり、常に己を律し続け、外国の観戦武官や、降伏した敵の大将さえも感服せしめた一種のカリスマ性をもって、また明治帝の崩御に際して殉死したことなどから、死後も名声が止むことはなかった。

『坂の上の雲』に、一つ印象深いエピソードがある。旅順から奉天へ向かう鉄道の話。気温は零下15度だが、車中に暖房がなく、他の参謀達がダルマのように毛布にくるまって寝ているところを、乃木だけは全く毛布を使わずにじっと寝ていた。乃木はまた、外套を着なかったことでも知られていたが、これらは「見た目が見苦しいから」ということだろう。平たく言えば単なるカッコツケとも取れるのだが、死を賭してそれをやる、というのが凄い。古武士、と形容されるゆえんである

(櫻木)