行きつけのBARで、バランタインの30年を安く出していると聞きつけて、早速飲んできた。普段なら1ショットで6000円は下らないこの名ウィスキーが、なんと1000円ちょっとで飲めるというなら、これは飲まないほうが損である。
このウィスキーには、個人的な思い出もある。祖父が他界したとき、その蔵酒の中に、このバラン30年があった。当時未成年だった僕が、酒の味が分かるようになってから飲んでみると、開封済みだったその酒には不純物が混入し、劣化してとても飲めたもんじゃなかったのだ。
それ以来、ずっと憧れていたこの酒を、とうとう飲むことができた。やっと巡り合えたその一滴は、ふくよかで甘く、そしてややほろ苦く、僕の脳髄と舌先を心地よく痺れさせた。余韻が30年もたっているのにまったく枯れないその華美な味わいは、まさにキング・オブ・ブレンデッドスコッチ。
俗に「酒は一生に飲める量が決まっている」という。僕はこれを聞き、回りの年配者をも見て実感した上で、「無駄酒は飲まない」ことに決めた。僕の考える無駄酒とは、ただ酔うためだけに飲むような、レジャーとして一気飲みをしたりするときに飲むような、色のついたアルコール飲料である。
ただ、これは僕の個人的な流儀なので、人に押し付けたりはしない。飲み会ではいつも楽しくビールを飲むし、一緒に飲む人が青りんごサワー大好きでも一向に構わない。飲み会を断る人間に「ふざけんじゃねえ!」と言ったりもしない。
けれども「BARなんてふつう行きませんよね」とか「酒は潤滑油でしかない」とかいう主張はちょっとさみしい。他の目的のための道具としてではなく、酒を酒として楽しむ空間も、たまにはあっていいんじゃないかと思うのだ。
(櫻木)