ゲームとは何か、について考え込んでしまった。
日本も英仏のように、文化コンテンツ輸出で、国際的ブランドイメージを向上させようという取り組みがある。内閣の知的財産戦略本部、コンテンツ専門調査会メンバーの東京大学大学院の浜野保樹教授の発言が波紋を広げている。
アニメや漫画は感動をもたらすけれど、ゲームは、お金だけ持っていって、子供の時間奪ってますね。その人生にプラスアルファがない。宮崎さんとか他のアニメ見て、人生変わったという人はいると思います。心ふるえるほどの感動とか、ゲームは若干難しい。ビジネスとしてはいいかもしれないが、恨みをもたれる。かつてのエコノミックアニマルのコンテンツ番みたいにね。敬意も払ってくれない
(知はうごく:コンテンツ力(7-3)日本の戦略|エンタメ|カルチャー|Sankei WEB)
これはコンテンツ戦略について語った中のごく一部で、インタビューの主題ではないんだけど、当然ゲーム愛好家の多いネットユーザーに総スカンを食らっている。(→参照
痛いニュース(ノ∀`):「ゲームは時間を奪う。ゲームで感動は難しい。ゲームなんて文化じゃない」… 内閣知財戦略本部コンテンツ専門委員会)
まあそりゃそうだろう。今やゲームは全世界に愛好家のいる一大コンテンツ産業だ。ゲームで生活している人も、ゲームで人生が変わった人も、ゲームに魂が揺さぶられるほどの感動を覚えた人も、いるだろう。
しかし、実は僕はこの教授と同じようなことを考えもするのだ。たとえば、Desktop Tower Defenseという海外のフラッシュゲームがある。このゲームは、陣地に砲台を迷路のように築いて、上下からにじり寄ってくる敵を殲滅していくという、まるで「インベーダーゲーム」のようにシンプルなシステムのゲームである。
しかし、その中毒性の高さ故に「Desktop Tower Defenseは禁止すべきだ」などという主張?まである。しかしこの主張も、あながちまったくの冗談とはいえないような気がする。僕の例で言えば、月曜提出の仕事を抱えて週末家に篭っていたはずが、これに手を出したせいであっという間に6時間が消えた。文字通り、消えた。
その6時間をもって僕が何を得たのか? 何もない。6時間あれば他に何ができたか。何でもできた。
こうして考えると、果たしてゲームというのは世の中に貢献するものなのだろうか、無益(有害)なものなのだろうか、と考えずにはいられないのだ。
さらに考え抜いて出た結論は明日書きます。とりあえず、座敷牢に閉じ込められていてネット以外にやることがないような人以外は、先述のフラッシュゲームには手を出さないほうが賢明です。
(櫻木)