ブログ論

次に紹介する言葉は、「希望のリーダー学」など、リーダーシップやマネジメントの重要性を説く経営コンサルタント、ハリー・ハットソンの言葉です。

(組織に)最も大きな変化が起こるのは、リーダー自身が「希望を与える」という使命に目覚めた時である。
(リーダーが)はたと内省し、「自分がやろうとしていること、言おうとしていることは希望を打ち砕くものだろうか、膨らませられるだろうか」と考える意義は大きい。
――ハリー・ハットソン


僕はこの言葉を読んではっとしました。僕も現在何人かの部下を持って仕事をする身ですが、彼らを頭ごなしに否定するようなことを言ってしまったり、ネガティブな言葉を吐いたりしたことも、沢山あったのではないか。そして、自分が部下でしかなかった数年前、理解のない上司に自分が否定されていたときにどう思っていたか。

また、これは組織のリーダーシップに限定した話ではなくて、例えば家族や恋人との日常会話でも、常に希望を膨らませるような言葉を使い、相手のいい部分を肯定するような話し方を心がける効用は計り知れません。

いわんや、これはブログにおいてもです。

孫引用になってしまいますが、これはとある作家志望の人がブログについて語った文章です。

疲れている日でも何かを書こうと思ってブログをしても、そういう日は何の反応もありませんでした。皆、楽しい話ばかり読みたがるのです。ブログでは赤裸々な本音も書けないし、それでは日記の意味が無いのでやめることにしました。

これ、当たり前ですよね。楽しい話を読みたがらない人がどこにいるのでしょうか? 見ず知らずの人間がグチを書いているチラシの裏日記に励ましのコメントを残してくれるような聖人は、そうそういません。この人だって自分の行動を振り返ってみれば分かりそうなものですが、僕らが家でマンガやテレビを見たり、会社の昼休みにブログを見たりするのは、それが気楽な息抜きになるからです。

そうしたときに、わざわざ暗い話、つまらない人の所を見に行こうとは思いません。また、ブログでも現実でも、希望のある言葉をつむぎだす人のところには自然と人が集まり、希望を打ち砕く暗黒の言葉を吐く人のところからは自然と人がいなくなります。

ということで、僕はこのブログについて、その内容が、読者の(そして自分の)希望を打ち砕くものか、それとも膨らませるものか、常に考えながら書くことにしています。これが僕のブログ・マニフェストです。

(櫻木)