野球評論家の張本勲さんは東映時代、そう重くない負傷でも体を気遣って試合を休んだ。巨人に移籍し、ある日を境に変わったという
◆試合の前、後楽園球場そばの交差点で車を降り、顔を隠して信号待ちをしていた。小学生とおぼしき男の子の話し声が聞こえた。「お父さん、きょう、張本選手は打つかなあ。打ってくれるといいね。せっかく来たんだもの」
◆選手にはシーズン百何十分の一の試合も、観客には一生の思い出になる。何があっても休むまい。「体に電流が走った」と、張本さんは「闘魂のバット」(ベースボール・マガジン社)に書いている
今日の朝刊で紹介されていた、元野球選手の張本氏のエピソードです。長いシーズンを戦い抜くために、体を気遣うことは確かに大事なことでしょう。しかし、彼らは自分の体と自分の仕事だけを考えていればいいというような、単なる労働者とは違います。ヒーローなのです。
僕がこの話を読んで思ったのは、「ああ、やっぱり毎日ブログを更新しよう」ということでした。個人でやっているサイトなど、野球選手やアイドルに比べれば、ケシツブほどの夢も与えないものでしょう。しかしそれでも、毎日なにがしかの期待を持ってクリックしてくれる人がいる限り、できるだけ更新するべきじゃないかとも思うのです。
「個人が趣味で持ってるサイトなんだから、自分の勝手だ」という意見があるのも分かります。それはもっともな話ですが、そう言う人には、じゃあなぜオンラインでやっているのですか、と聞きたい。なぜカウンターをつけ、アクセス解析をし、コメント欄があるのか。おそらく「ローカルでメモ帳に日記を書いていても張り合いがないから」なのではないでしょうか。
99年~01年まで活動していたサイト「ムーノーローカル」の、更新に関する宣言には、今でも共感できるものがあります。
・勝手に更新を休まない。必ず毎日更新する。病気になっても仕事や勉学が忙しくても、絶対に更新し続ける。
・休むなら一年に一度か二度、それも一週間などの大きな単位で休む。決して頻繁に、何度も、不定期に、休むべきではない。
・機械の故障などでも、友人などがインターネット接続環境を持っているなら、使わせてもらって更新するなどの努力を怠ってはならない。
・どうしても休まねばならない事情が発生した場合は、読者に謝罪する。
・休む理由についてくどくどと言い訳をしない。
・かといって「ちょっと忙しくて更新できません」というのは恥と考えるべきである。サイトよりも自分の生活の方が重要だと語っているのと一緒だから。それは読者にとってあまりうれしいことではない。
・読者にはいつも優しくあるべきである。
・最低でも1年間は連続更新するつもりではじめる。どんなにヒットが伸びなくても、どんなに人生が辛くても続ける。できないのであれば、はじめからムーノーローカルを運営してはならない。軽はずみで始めることは悪くなく、むしろ好ましいが、軽はずみに辞めてしまうことはあってはならない。
・1年は続いて更新されていなくては意味のないページである。作者は日記が3日と続いたことがない人間だが、ムーノーローカルは日記という個人的な内容によって書いているものとは根本的に違うため、長く続けられたのではないか。
・あきらかにエンタテインメントとして作ることを指向しているので、「やっているのは俺の勝手だ」「辞めるのも俺の勝手だ」「嫌なら見なければいい」などと軽はずみに言ってはならない。それはエンタテインメントなどではない。
・ムーノーローカルは書き手の著作物だが、読者のものである。
他サイトとのつながりや、読者からの反応など、オンライン日記には無形のメリットがたくさんあります。それらに「恩返し」をするとしたら、更新するしかないのです。
そして、やはり更新することこそが、僕にとっての喜びにも繋がるのです。
(櫻木)
毎日更新してます
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