コラム

乳母車のマナーについて

先日、とあるタレントがベビーカーの使用についてブログで書いたところ、プチ炎上した。ネット上には、他人のマナー違反を決して許さない「マナーモヒカン族」という武闘派グループが存在する。(大手小町や知恵袋等に多く住む)

「デパートに行ってみたらーエレベーターがこない!ベビーカー優先なのに、誰も降りてくれなくて(T_T)」と書いた。下に降りようとしたが、混雑し乗れなかったのだ。

読者から「エレベーターはベビーカー優先じゃないです」との指摘があったようだ。乙葉さんは「私はエレベーターがベビーカー優先という意味ではなく、ベビーカー優先のエレベーターがあっても、なかなか乗れませんねーという意味でした」と、ニュアンスの違いを釈明した。
livedoor ニュース – 乙葉の疑問 「エレベーターはベビーカー優先?」

確かに、外出時、混雑する場所等での乳母車の使用に注意が必要なのは確かだろう。乳母車は、それなしでは移動が不可能になる、障害者の車椅子とは違う。
移動の必需品ではあるかもしれないが、乳母車は一時的に畳めるし、赤子は抱きかかえることが可能だ。

実際、一般的には「混雑時は、乳母車を畳むのがマナー」とされているようだ。
赤ちゃん連れのお出かけマナー これが常識・非常識 – gooベビー

以前、金曜夜12時の総武線(経験者ならどれほどの殺人的混雑かお分かりかと…)で、若い母親二人が、それぞれ乳母車に赤子を乗せたまま乗っている光景を見かけたことがある。他の乗客に大迷惑なのもさることながら、自分の子供が心配ではないのだろうか? (まあ、そんな時間まで赤子を連れて外を出歩いている時点であまりマトモではないが)

苦労を尊ぶ風潮

しかし、「乳母車は母親の見栄のためだ、必要ない」とまでくると言い過ぎである。

結局ベビーカーは親の見栄をはりたいだけの道具だ。
ベビーカーがなくても子供は育つ。
そんなものを優先する必要がどこにあるのだろうか!
ベビーカーの記憶。

僕は「乳母車自体が育児の必需品である」という主張には反対しない。母子の移動が楽になり、母親の負担が減り、その分心穏やかに育児ができるとすれば、まったくいいことではないか。

日本には、勤勉を尊ぶ風潮があるため、苦労全般を評価する価値観が存在する。たとえば、全自動皿洗い機は贅沢だ、というような意見にそれが見て取れる。

しかしそんなことを言ったら、洗濯機は、掃除機は、電気炊飯器はどうだ。機械文明の発展は、家事の負担を低減させた。それは、交通技術の発達によって、移動が便利になったのと全く変わりない。
人間の暮らしは便利になる。そして便利になって生まれた余裕の時間で、より便利になるような工夫や発明がなされ、さらに便利になる。それが進歩というものだ。

だがなぜベビーカー

ここまでが前振り。そしてしかし、ここで一つの大きな問題が露わになる。
僕はここまで、あえて「乳母車」という単語を使っていたが、関連のページを見ると、いずれも「ベビーカー」と表記されている。デパートや電車でのアナウンスも「ベビーカー」だ。

何でわざわざ英語風にするんだろうか。アジェンダでアサインしてミーティングでコミットなのだろうか。ルー語でトゥギャザーしようぜ!なのだろうか。

Wikipediaを見ると、「乳母車」と「ベビーカー」の構造上の違いが説明されている。しかしどう見てもそれは、コトバ自体を別にしなければならないほどの概念的な違いには見えない。

ベビーカーは椅子に取っ手と車がついたもの、乳母車は箱に取っ手と車がついたもの
乳母車 – Wikipedia

和傘も洋傘も傘である。わざわざ「アンブレラをさして…」等という人はいない。
僕はこうした、意味のない単語言い換え、日本語の希釈化に反対する。国鉄などの公共輸送機関まで率先して言い換えに躍起になっている現状、旗色はかなり悪い。

(櫻木)