古典

はてな匿名ダイアリーで、「読書家」の日記さんが「経験派」の人に「そんなに本読んで何の役に立つの?」と言われて言い返せなかった、という日記があった。

本を読まない人間を軽蔑していた。こいつまったく勉強する気がないな、と。
けど、本を読まない人間にいくつか反論されて、言い返せなかった。
いわく、「そんな本読んでなんの役に立つの?」
読みたいから読んでいるんだが、なぜ読んでいるかと聞かれると、読んでないことが不安だから、勉強し続けてないと不安だから、というのもあるように思う。
いわく、「実体験から積み上げたものじゃないと信用できないよ」

これはどうかと思う。ただ、生活に生かせない読書をしてもしょうがない、というのであれば、まあ一理あるかもしれない。

そう考えていくと、本を読む自分を自己肯定したいだけなんちゃうんか、と。
読む冊数、減らそうかな・・・。

本を読みすぎること自体、自分で考えることを放棄しているんじゃないかと自問することもしばしばだし。
本を読まない人間

学びて思はざれば、すなわちくらし。

本を読んでさえいればいいわけではない。ただし本が役に立たないというのも間違っている。

Anond氏には、まず論語から次の一節を送りたい。

「学而不思則罔思而不学則殆」
(学びて思はざれば、則ち罔(くら)し。思ひて学ばざればすなわち殆(あやう)し。)

勉強するだけで、自分の頭で考えることをしなければ、本当の知識にはならない。
逆に、自分で考えるだけで勉強をしなければ、独りよがりになって危ない。

「勉強し続けていないと」という辺りや冊数、文章力から察するに、ビジネス書を多読しているタイプの人なんじゃないかと勝手にプロファイルしてみる。確かにビジネス本、成功本やノウハウ、ライフハック的な本は、「勉強になる」というより、読んでいると気持ちがいいのだ。
こうした本は、勉強やビジネスがうまくいく方法を紹介しているので、読んでいる間は、読み終われば自分もうまく行きそうな気がして楽しくなる。

そう考えると、いわゆるビジネス書も嗜好品であり、その意味では小説を読んでいるのと変わらない。趣味として、読書を楽しめばよい。

読んで実践しよう

ただ、「勉強」の意識があるんだったら、読むだけで終わらせずに実際の行動につなげないと意味がない。
最近のビジネス書『毎朝1分で人生は変わる』で、こんな言葉が紹介されていた。

「One Book, Three Points, One Action」

つまり、1冊本を読んだら、3つポイントを見つけ、1つは実際の行動に移す、という意味である。月に20冊、30冊と読んでいても、ただ読むだけでは単なる嗜好品だけど、1冊につき1つ行動を起こしたら、読んでない人とは確実に何かが違うはずだ。どんな本にも1つは見習うべき点、真似できる点はある。

あとは、多読もいいけれど『論語』や『自助論』や『学問のすすめ』など、「勉強本」の古典をじっくり読んでみるのもいいと思う。
100年、200年と月日を経ても生き残ってきた古典には、普遍の素晴らしさがある。

(櫻木)