歴史と日本

去る8月17日は、インドネシアの独立記念日だった。日本にとっても忘れ得ぬ日である。
日本列島から遠く離れた東南アジアの国の独立が日本とどういう関係があるのかというのは、この日が日本の「敗戦記念日」から2日後であることを考えてみてほしい。
かつて日本は、この地を植民地支配していたオランダ・イギリス軍を撃滅し、インドネシアに軍政を敷いた。それは蘭英のような民衆の搾取や虐殺を当たり前にする植民地支配ではなく、やがてインドネシアを独立させることを前提とした統治だった。

しかし、8月15日、日本軍は無条件武装解除に応じ、日本の敗戦によって大東亜戦争は終戦を迎えた。
そこで日本が育成していた、インドネシア青年会(インドネシア独立義勇軍の前身)の中心的人物、スカルノとハッタは、インドネシア駐留軍の責任者だった前田中将の家に行き、そこで独立宣言文を起草した。その宣言文の日付は170805(05年8月17日)、05年とは2605年。西暦ではなく皇紀で書かれているのだ。

その直後、日本の敗戦を待って、再度インドネシアを植民地するべく英蘭軍が再侵攻してきたとき、3000人以上の元大日本帝国軍人が、独立戦争に身を投じた。愛弟子であるインドネシア独立義勇軍を指導し、常に戦の戦陣を切って闘ったのは、彼ら元日本人だった。

多くの日本人はそのまま戦場に倒れたが、インドネシアは見事独立を達成した。イギリスの将官の「かつて猫だったインドネシア人は、日本の統治を経て虎へと変貌していた」という声に、その抵抗の頑強さが伺える。
(戦争の詳しい経緯はこちらを インドネシア独立戦争の記憶 ~インドネシアはなぜ親日か~

勇敢に戦った日本人兵士たちは、今はインドネシア各地にある英雄墓地に埋葬されている。ここは、日本の靖国神社やアメリカのアーリントン墓地がそうであるように、国家のために忠誠を尽くした兵士の魂が、名誉とともに手厚く葬られている場所である。
(平成20年、墓参りに行ってきた →インドネシア英雄墓地に行ってきた

(櫻木)