コラム

親しい人なら知る、僕のサワー・チューハイ敵視は筋金入りである。酒は酒の味を楽しむものなのに、あんなものはソフトドリンクと変わらんではないか! 日本の酒文化を破壊する元凶である。

キリンビールの2006年調査によると、「最も好きな酒」として八方種類を含むビールを挙げたのは、20代男性で53%、女性で28%とのこと。
97年には、同様の調査で64%、44%だったので、若者、特に女性のビール離れが著しいようだ。


代わりに票を伸ばしているのがチューハイ。缶入りのブームが需要を拡大している。
これについて、キリンのマーケティング担当者の分析よると「ビールは苦いので飲まないと言うのです。かつては少しずつ慣らしていったものですが…」とか。

なるほど、確かにビールは苦い。しかし、だからこそうまい。

だがそう言えば、ビールがうまく感じるようになったのはいつごろのことだったか。よくよく考えてみると、最初は確かに苦くてまずくて、僕もサワーばっか飲んでいたのだった。前言撤回。僕のサワー敵視は結構最近です。

味覚の中で、苦味だけは訓練しないとおいしさを感じることのできない味だと言う。するとやはりビールも最初からおいしく飲める人はいない、ということになる。

では僕の場合なぜビールが飲めるようになったか、飲む練習をしたかというと、大学のサークルで「飲まされた」からではないかと思う。あと、当時僕は音楽をやっていたので、打ち上げの席などではとりあえずビールしか出てこないし、ビールも飲めないバンドマンなんてダセー、という雰囲気は確実にあったと思う。

そう考えると、ビール類は「社会性の飲み物」と説明することができるのではないだろうか。人間が、その社会的な交流生活の中で身につけていく酒。最初は苦いが、我慢して飲んでいると気持ちよい酔いが訪れる。飲んでいるうちに、のど越しがうまく感じられる。飲み方注ぎ方は先輩から後輩へ受け継がれる。

それに対して、チューハイの場合は注がないし、飲み方も何もない。最初から甘くておいしくて、飲んでいるうちに気持ちよくなれる。

そこに見えるのは、世代を超えた交流の減少と、少しでも苦いこと、自分に合わないものは最初から切り捨てて、甘いもの、気持ち良いものだけを追い求める現代人の姿である。仕事が続かない若者は、2、3日やってみて「あ、これ自分に合わない」と見切るのが異様に早いそうだ。

政治も仕事も恋愛も人生も、目先の甘さを追い求めるだけでは、真の快楽も幸福も訪れない、と思うのは、僕の基本思想が古いからだろうか。

以上、大日本ビール党の桜木朱雀による清酒放送でした。

・TB先
違和感

(櫻木)