僕は小学生の頃、学校で全くノートをとらない子供だった。
しかし、成績は良かった。元来読書好きだったため基本的な日本語語彙や、社会・自然科学知識があり、人よりも多少目端の利く子供だった僕にとって、学校の勉強は「分かりきったこと」ばかりで退屈以外の何者でもなかった。テストで100点未満を取ることは、極めてまれだった。
しかし、教師は「ノートをとること」を強要した。最初の2、3Pは黒板を写したりもしたけど、すぐに阿呆らしくなって止めてしまった。だって教師だって、毎年使っているであろう自分の授業ノートや、教師用の教科書ガイドを見て、それを黒板に写しているだけなのだ。それならそれをコピーして生徒に配ればいいんじゃないの。
教師は、当初は僕が授業を理解していない、あるいは聞いていないものと思って、抜き打ちで僕を指名して答えさせたりした。しかし当然僕は、あらゆる質問に正答した。
国語(現代文)の授業で、ひとつの挿話ごとに、「分からない単語を、各自辞書で調べなさい」という指導もあった。僕はクラスで唯1人、どの単語も調べない生徒だった。だって本を読んでりゃ分かる。
今にして思えば、大人から見てこんなイヤな餓鬼はいないだろう。しばらく経って、教師は実力行使に出た。ノートをとるかとらないかを、「授業態度」として成績の評価基準に加えたのだった。
僕は相変わらずテストではほぼ100点を取り続けた。しかし、ノートは1ページも取らなかった。2学期まで体育以外はオール5だった成績表には、3学期から2が乱舞されるようになった。
結局その後も僕はノートを取る習慣を身に着けないまま大人になってしまったわけだが、社会に出てからはノート、メモを取ることの利便性、重要性を痛感した。書店に行けば、ビジネス書のコーナーには、ノート術や手帳術の本が溢れ返っている。
今にして思えば、「ノートを取れ」という教えは、将来のための社会練習だったのだなあ、と素直に理解できる。でも黒板をそっくりそのまま写して再現するようなノート術は効果が薄そうだけど。
あと、僕がその後も100点街道を歩めたかと言うとそんなことは決してなく、中学数学などの「勉強しないと絶対に点が取れない」世界に足を踏み入れた途端、ドロップアウトしてしまったのだった。
以上、
ノートをとる利点の教え方
ペンもノートも持ってこない学生の指導法
など、徳保さんのノート関連の話題に触発された思い出話。
(櫻木)
初めて投稿します。いつも楽しく拝見しております。
教師側を経験した者としては、カリキュラムがスカスカだったりすると
ノートを書くという行為は、十分な時間つぶしになるため重宝しています。
数学など、絶対に勉強をしなければ点が取れないものに関しては
ノートを取る必要があると思いますが、ある教科に関しては
さほどノートを取る必要が無いというのも納得です。
ノート書きに追われて、ノートはきれいだけど成績悪い子もいますものね。
ただ、ノート書いてる子の方が字はきれいになると思われます。
ノートを取るという行為・補講
「ノートを取る」という行為 昨日の話にちょっとだけ補足なんですが、板書を写し取る…
お返事が遅れました。コメントありがとうございます。
「ノートを書かせると時間つぶしになる」なるほど!これは盲点でした。
あとは、「ノートの取り方」(黒板を写すのではなく)というのも、社会に出るまでに身につけておくと役立つなあ、と後から思いました。
たしかにノート取ることはいいけど工夫しながとえらなきゃ意味ないですよね