Web論

ちょっと遅い話題になりますが、今年最高のケータイ小説がこちらです。審査委員長の秋元康をして「言葉のリアリティーがすごい。こんな小説は読んだことがない」とまで言わしめた、第3回日本ケータイ小説大賞・源氏物語千年紀賞の栄冠に輝いた作品だそうです。(ヒットしてるかどうかは分かりませんが)

アタシ
アキ
歳?
23
まぁ今年で24
(中略)
なんか
アタシ彼氏いたんだけど
飽きた
みたいな
んで今の彼氏
まぁ
トモに
出会ってさ
乗り換えた
みたいな
前彼より
顔いいし
金持ってたし
なにより
セックス
相性いいし
第3回日本ケータイ小説大賞:あたし彼女

ケータイという画面の持つ催眠効果

いや、正直冒頭の時点で僕も「無理無理」と思いましたし、途中何度もブラウザを閉じかけました。『恋空』の「あー、超おなかすいたしっ♪」以上に読み手の気持ちをくじく、これは確かにこれまでにない「作品」だ、ということは分かりました。

結局、なんだかんだで最後まで読んでしまったわけですが、電車の中とかで、あえてケータイを使って読んでみたら、ページ送りが相当わずらわしくはあれど、何となく雰囲気が分かりました。実際にケータイで読んでみると、スクロールのスピードが読むスピードとリンクして、かつページ送りのときにダウンロード時間がかかるので、一拍間が空くので、作者のペースに乗せやすいという一種の催眠効果があるわけです。

自分探しの構図

『自分探しが止まらない』という本に、最近ヒットしている作品の背景には、自分探しや自己啓発のモチーフが潜んでいる、という指摘があります。
例えば、『あいのり』。あれは「恋愛ドキュメンタリー」という、他社との関係性を描いたバラエティ番組に見えますが、実は登場人物たちの
「自分の気持ちに嘘をつきたくないから告白する」
「○○といると本当の自分でいられる」
と言ったセリフに現れているように、実際は登場する若者達の「自分探し」を描いているわけです。

これと同じく、この「あたし彼女」も、よく見てみると

  • 男をとっかえひっかえしている状態 (迷い、自分探し)
  • 偉大な存在との出会い
  • 人格の否定
  • アイデンティティーの危機
  • 肯定

という、自分探し、自己啓発セミナー的な「否定と承認」のプロセスが組み込まれているわけです。

文体の魔術

そして、やはり大きく「評価」せざるを得ないのは、この文体の持つ魔力でしょう。この文体の持つ力は、この「現代語訳」と少しでも読み比べれば明らかです。
「あたし彼女」現代語訳 – 藤棚の上
これは「現代語訳」といいつつ、実際は単なるあらすじを書いただけの、醜悪な悪ふざけです。どんな面白い小説だって、あらすじにしてしまったら身もフタもないでしょう。
おそらく、これを「訳」した人は、あんなデタラメの文章が「小説」などと大手を振ってのさばり、評価されているような事実が不満だったのでしょう。僕だってそうです。こんな文字列はブンガクどころか小説の風上にも置けないし、これで賞金なんて納得いかない。しかし、何らかの力があることは認めざるを得ない。

その昔、「言文一致運動」として、文章を文語体から口語体に近づけようとした運動も、当時は相当知識人や守旧派から非難を浴びたはずです。ただし、だからと言ってこの「あたし彼女」に象徴されるようなケータイ小説を、「新時代の言文一致運動」として認めようとも思いませんが。

日本のインターネット人口は着実に増え続けていますが、最近の若年層には「ネットはケータイでするもの」として、PCを使わない(使えない)者が増えていると聞きます。小説界も二極化していくってことなんでしょうかね。

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