時事問題

航空幕僚長当時の田母神氏

航空幕僚長当時の田母神氏

田母神論文事件について、こういう指摘があります。
「上官の命令に服するのは軍人として当然の責務。よって政府見解と違う意見を表明する空将は不適格。
軍紀の乱れ、シビリアン・コントロールの崩れを内外に示すことは国益を害する」

例えば、こちらの伊藤乾氏のコラムです。

田母神氏の第一の問題は、政府、防衛省の観点から見るとき、危機管理体制としての情報統制が全くとれていないことです。これをまず指摘しなければなりません。

昨年の2月、私はNHKの「地球特派員」という番組の取材でアメリカ、ノースカロライナ州フォートブラッグ基地に体験入隊して、インタビューや訓練参加などしたのですが、そのときの軍人たちの、発言への気の張りようは大変なものでした。
KY空幕長の国益空爆:NBonline(日経ビジネス オンライン)

こちらの伊藤氏は、「かなりのハト派」を自認しつつ、外国向けに日本の伝統や文化をアピールする活動を続けているとのことで、日本には珍しい左派の愛国者のようです。政治的言説は感心しませんが、そういった活動は意義深いものですし、このコラムにもとても説得力があります。

米国のピリピリした空気と比較すれば、まさに不用意な情報発信がいかにリスキーか、という危機管理意識の欠如を指摘せねばなりません。

「定年退職記者会見」で田母神氏は「解任は断腸の思い」としながら「自分は誤っているとは思わない。政府見解は検証されるべきだ」と述べています。現役で空自を指揮する立場にあった者が、上官の命に反してこのような内容を語ること自体が、そもそも大間違いであることが分かっていません。「説明責任」という言葉の意味を、正確に学びなおす必要があります。

最後に至ってもこんな記者会見をしているのでは「日本国自衛隊は、指揮系統が完全に崩壊している」と、自軍の命令ラインが成立していないことを将官自ら触れ回っているようなものです。それが分からないのでしょうか? もし米国でこれが起きたなら、即座に懲戒以上の措置がとられるはずです。法に明確に定められているとおり、自衛隊の最高司令官は内閣総理大臣で、内閣総理大臣の方針と異なる意見は軍内部で議論すべきものであって、現役の指揮官がマスコミを呼んで演説することはあり得ません。軍紀の基本が完全に成立していないのです。

KY空幕長の国益空爆:NBonline(日経ビジネス オンライン)

確かに、現行法制化では、陸海空三軍を統べる総司令官は内閣総理大臣ということになっており、麻生総理も「村山談話を踏襲する」と発言してしまった以上、それに反する政治的発言をすることは、そういう意味では上官の命令に反している、という見方もできます。

それでも田母神論文は「よくやった」

ただ、内容・論旨には見るべき箇所がある。正しい意見がある。だからこそ問題なわけですが、だからこそやはり「よくやった」なのです。
論文の内容は本人も認めている通り、本文中で引用されている保守系論壇の著作からの引用で構成されています。しかし、渡辺昇一氏しかり櫻井よし子氏然り、今まで歴々が同様の趣旨の発言をしてきても、一向に世の中に広く流布しなかったではありませんか。反日マスコミのフィルターによって、世間には届けられない仕組みになっていたのです。しかし、現役の空将がそういった発言をすれば、トップニュースになり、事件と言う扱いとはいえ、少なくともそういう意見が世に存在すること、そしてその主張にも一定の支持が集まることが白日の下にさらされたわけです。まず、この意義が大きい。

次に、「軍紀の乱れ、文民統制の不徹底が露呈したので問題だ」という指摘。まず、自衛隊を軍隊ではなく「特殊な公務員」として位置づけているのに、規律意識だけ厳しい軍隊のそれを求めるのは無理があるのではないかと思います。
確かに、アメリカの海兵隊は厳しい軍律の中で生きているでしょう。しかし、彼らにはそれに見合った世間からの敬意が払われています。退役軍人は、勲章を飾ってその名誉に生きることもできます。
しかし、日本の現状はどうでしょうか。自衛隊は武装こそ「みなし軍隊」となっていますが、未だに「作業服」で外を歩くことはできませんし、左翼は今でもことあるごとに反対運動や侮辱デモを行ない、海外に派遣されるとなれば「丸腰で行け」だの、「武器は持っていっても身を守ることはできないから、隣の国の軍隊に守ってもらえ」だの言って、彼らの名誉と尊厳を毀損し続けています。
敬意も尊厳も武装も与えない。しかしレスキューはやれ、いざと言うときは犬死にしろ。
これでどうやって、帝国時代のような栄えある軍隊を持つことができましょうか。

自衛隊は機能するか

また、自衛隊が有事の際にまともに機能しないかもしれないことが心配、ということですが、そんな心配は全く無用です。機能する訳がないじゃないですか。
左派の人はこういうときだけ、自衛隊を軍隊扱いしたがりますけど、自衛隊は(悲しいことに)軍隊ではありません。国内では、刑法に縛られた戦うレスキュー部隊に過ぎません。おそらく次の「有事」の際には、国内に3000と言われる某国の工作員が、某国総連というアジトを活用して、日本中でテロ攻撃、ゲリラ活動を展開するでしょう。

2003年に発行された警世の書、『自衛隊vs北朝鮮』には、こんなシミュレーションがあります。

自衛隊は治安出動の名目でテロ攻撃を防ぐことはできないのだろうか。例えば武器を持ったゲリラが海岸から上陸したとする。警察が付近を警戒すると同時に連絡を受けた自衛隊が武器を持って出動する。だが、治安活動は警察の補完的な役割に限定されるため、武器使用は警察比例の原則に縛られ、相手が小銃しか持っていないのに機関銃やロケットランチャーで全滅させるようなことはできない。相手と対等の武器であっても正当防衛、緊急避難と判断される場面でなければ、発砲さえ許されない。

結論をいえば、防衛出動が発動される前のテロ攻撃に自衛隊は無力である。原発を警備することも、米軍基地の敷地外を見回ることも違法行為になる。権限なき出動に踏み切り、工作員に発砲して怪我をさせれば傷害罪、殺せば傷害致死または殺人罪に問われかねない。

これは市街地テロ攻撃の例ですが、他のケースでも自衛隊にできることはとても少なく、自衛隊は現行体制化では、そもそもまともに機能しません。
集団的自衛権もなく、予防的先制攻撃もできない。攻撃されて始めて、それと同等の反撃をすることが許されている。しかし、大量殺戮兵器の発達した現代においては、最初にミサイルを撃ち込まれたらそれで片が着いてしまいます。

「最高指揮官」たる首相の覚悟を問う

次に、「上官」と位置づけられている、内閣総理大臣の資質の問題です。前福田政権のときも重ねて申し上げましたが、果たして今の内閣総理大臣には、自らが自衛隊(軍)の最高司令官である、という意識を持っているのでしょうか。年に一度の高級幹部会を欠席するような前代未聞の珍犯総理(【福田退陣】首相「最高指揮官」の責任放棄 自衛隊高級幹部会同を異例の欠席)ほどではありませんが、現・麻生総理も、未だに官邸に入らず、バーで会談して(これ自体はいいのですが…)、私邸に帰っています。

総理大臣官邸は、単なる首相専用アパートではありません。
首相官邸は、総工費700億円をかけ、災害や戦争、テロなどの有事の際には、首相がいち早くリーダーシップをとり、迅速に指揮がとれるように、防災・耐震など様々な工夫を凝らした司令室なのです。

そういった意味でも、今の総理には、自衛隊の最高指揮官たる自覚も資質も欠けているといわざるを得ないでしょう。

ちなみに先の『自衛隊vs北朝鮮』では、「自衛隊はゲリラ戦に対抗できるか」の章を、こう結んでいます。

方法は一つ。テロ攻撃の発生が確認できたならば、可及的速やかに防衛出動を下例するしかない。犯行声明も宣戦布告もなく、光線相手国が不明であっても国民の安全を守る目的で、自衛隊の円滑な活動を期待するならば、防衛出動を決断する以外に選択肢はないのである。
これは防衛庁や自衛隊の問題ではない。政権を担当するものの責務である。

田母神論文事件は、確かに日本の国防の乱れを露呈し、穴を生ぜしめたかもしれません。しかし、それよりも世論に開けた風穴の意義の方が大きい。これを機に、隊員が軍人となれるよう、軍人が軍務に専念できるよう、議論の深化と社会の変化が起こることを願ってやみません。

自衛隊vs北朝鮮

自衛隊vs北朝鮮

(櫻木)