今年も終戦記念日の靖国神社に行ってきた。
本来、終戦記念日は靖国神社にとって特に祭礼の日というわけでもないのだが、種々の事情により、今では初詣に次いで多くの参拝客の訪れる日となっている。
8月15日の靖国神社周辺は、本当に騒がしい。「普段は静かな神社なのに…」「もっと静かにお参りさせてほしい」とも思っていたが、これはこれで靖国の夏の風物詩というか、こうした騒動も含めて『8月15日の靖国』なんじゃないか、とも考えるようになった。
終戦記念日の靖国神社を体験するなら、朝から行くべきだ。今年も午前中は小泉、安倍元総理の参拝があり、正午には大勢の参拝客が一斉に黙祷を捧げた。…来年こそは、僕も朝から行こうと思う。
今年は、靖国神社に着いた時点ですでに4時を回っている時間だった。しかしそれでも照りつける日差しと騒動の熱気が残っていた。
九段下の喧噪
いつもと違って多数の制服警官と、プロテクターで武装した機動隊が大勢いる物々しい雰囲気。大きな日章旗を持った活動家風の男が機動隊に阻まれて境内に入れず、「日本人が日本の旗を持ってて何が悪いんだ!」と激昂している。
真横の大通り(靖国通り)は一部がバリケードで封鎖され、街宣車の通行が阻止されると同時にその後ろが大渋滞になっていた。しばらく見ていたが、街宣車が誘導されて引き返すとバリケードが解除されていた。一般車は通すが街宣車は通さない方針のようだ。
どうやら、靖国神社に反対する極左集団”反天皇制運動連絡会”(!)のデモ隊が通行するため、というのが理由だったようだ。
この左翼デモ隊、昨年もデモをやっていたが、昭和天皇のご真影で作った悪質なコラージュをプラカードに掲げたりして、本当に不届き千万な極左集団だった。国家の破壊を目指す集団を、国内の治安を守る警察が護衛するというこの倒錯。
しかし長野の時のように、警察の不見識をののしるよりも、末端の警官隊、機動隊は本当に大変だろうな、と思う。機動隊はあの酷暑の中でヘルメットとプロテクターで完全装備して、直射日光の中で直立していないといけない。しかも右翼には激しくののしられるし、クソみたいな左翼を守ってやらないといけない。(当たり前の話だが、警察官にはちゃんと愛国心を持った人の方が多い)
こんな状況に、現代日本の直面する社会問題が凝縮されている。報道も、司法、警察権力も、日本を起因する方向にどんどん支配されている。
しかし唯一の救いは、ネットの発達によって左翼勢力が衰退し、覚醒せる人々が増えてきている点だろう。
今年の反靖国デモは、去年とはずいぶん様子が変わっていたらしい。
これまでは我々が交差点で日の丸を振るのは限られて来ました。しかし、今回は3箇所において我々は日の丸を高く掲げ、反日極左のデモ隊に我々の力を誇示することが出来ました。
警備体制が分散され、尚かつ我々の動員力が予想を超えていたのでしょう。機動隊の阻止線は突破され、我々は左翼のデモの後を追随する形で解散地点まで迫りました。
せと弘幸Blog『日本よ何処へ』
参拝
炎天下の参道を歩いて社殿へ。普段は国旗が掲げられている神門も、今日だけはおろされている。時間は4時を回っているのに、未だに結構な行列ができていた。
日本国を導き守り給え、我をして国家のために尽くさしめ給え、という趣旨の祝詞をあげて参拝。
遊就館
参拝の後は遊就館へ。
まずは入り口に飾られている零戦、150cm野砲の零戦の勇姿を拝む。
記念展示『矢弾丸尽きるとも』にも心惹かれたが、閉館時間が近いので売店コーナーへ。
靖国や日本の歴史などの保守系の書籍が大量にそろった書籍コーナー、零戦、大和などの旧軍関係のプラモデル、零戦キューピー、三笠キューピーや昔懐かしいブリキのおもちゃがある玩具コーナー、自衛隊モデルの腕時計コーナーなどがあり、ここも多くの人でごった返していた。
三笠キューピーは、キューピーちゃんの体が軍艦三笠の艦隊になっているというシロモノで、ちょっと心動かされた。キューピーちゃんは何でもありだな…。
帰りにもう一度、夕陽を受けて輝く零戦を眺める。
これは靖国が神社である以上、単なる博物展示ではなくて“神々の武器”ということになるのだ、と気づく。500年、1000年後、これらの『新たなる神器』が後生どのような扱いを受けているだろうか。それ以前に、そのときに靖国神社は、そもそも日本国は残っているだろうか。現代を生きる我々には、2600年の歴史の中で受け継いできたものを、子供達に残していく義務がある。
(櫻木)
靖国神社の歴史的意義
「真日本主義」について
歴史に if を持ちこむ愚を承知のうえで、あえて禁を犯せば、人類史から日露戦争と大東亜戦争を抹消すれば、いま190以上ある国連加盟国の数は数分の一に…