歴史と日本

12月8日。この日は世界の歴史が変わった記念すべき日です。
この日、日本は米英への宣戦布告を決定し、海軍機動部隊は真珠湾を奇襲攻撃、陸軍はマレー作戦で英領への進撃を開始しました。

この日を持って、旧来の世界秩序、白人が神として世界を支配するという19世紀型の暗黒時代が崩壊しました。
タイのククリット・プラモード元首相は、かつてこのように述べています。

日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米・英と対等に話しができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。

12月8日は、われわれにこの重大な思想をしめしてくれたお母さんが、一身を賭して重大決心された日である。われわれはこの日を忘れてはいけない。

ククリット・プラモード元タイ首相
記憶せよ、十二月八日 | 朱雀式

タイは、日本以外で唯一植民地にならなかったアジアの独立国ですが、それでもこのように12月8日を認識しています。終戦後に日本兵の助力によって完全なる独立を獲得したインドネシアや、共に英国と戦ったインドやビルマも同様に、大東亜戦争をアジア解放につながった歴史的大事件と捉えています。

過去の清算を

しかし、私たちは、単純にこの日を記念し祝うだけではなく、未だにこの大戦の過去が清算できていないことを忘れてはいけません。
これは何も、サヨクが言うような「謝罪と反省」だの「戦争の悲惨さを伝える」だのという話ではありません。

アメリカとの関係

かつて敵国として徹底的に戦い、在米日本人を動物のように扱い、日本兵の人骨を国に「おみやげ」と称して送り、都市に原爆を投下して30万人規模の大虐殺を行った国に対して、「思いやり予算」を渡し、「進駐軍」に日本を守ってもらっている現状。これに対して何の忸怩たる思いも抱かず、「日米同盟はかけがえのないもの」とあがめるのみの「保守派」。よく分かりません。
かといって民主党のように日米同盟を軽くして、代わりにシナの支配下に入ろうと言う「親中派」ではどうにもなりませんが、心中では独立を期するようなところがないと、そして実際にその準備を進めないと、いつまで経っても日本は独立できず、あらゆる国から軽んじられることでしょう。

官僚体質

真珠湾攻撃は、「卑怯な奇襲攻撃」「だまし討ち」としてアメリカに喧伝され、アメリカ国内の戦争世論と、日本に対する世界的なネガティブイメージの形成に大いに利用されました。
しかし、実際は真珠湾攻撃の30分前には宣戦布告がなされるように段取りが組まれていました。それが攻撃後になったのは、当時の駐米日本大使館が、全員総出で同僚の送別パーティーを行っていたせいで、この重要指令を受け取るものが居なかったからです。
この世紀の不祥事を受けて、この大使館員達は処分されたかというとそんなことはまったくなく、普通に出世、栄転し、多額の退職金を得ています。この役人の事なかれ主義と事態の隠蔽体質は、薬害エイズ問題や年金問題に通ずるものがあります。これは今も昔も変わらぬ日本の恥部と言っていいでしょう。

旧日本軍人の遺留品

今、アメリカでは、戦時中に日本兵から「戦利品」として奪った日章旗が、行き場を失って売買されたりしているそうです。郷里の人々が願いを込めて出征兵士に持たせた、寄せ書きの書かれた日の丸の旗です。
在米の日本の老人がボランティアで持ち主と遺族を探していますが、大部分は未だに返還されていません。
旧日本軍人の遺留品
会社名が書いてあるものもあるが、そこに連絡しても、「当時のことは分からない」と冷たくあしらわれるか、返事すらよこさないところもあるそうです。日本人は、いつからこれほど冷たくなったのでしょうか。

遺骨収集

遺品だけではなく、世界には、未だに日本兵の遺骨が110万柱もそのまま野ざらしになっています。
アルピニストの野口健氏が遺骨収集のNPOを立ち上げたのは記憶に新しいところですが、世界に眠る英霊の遺骨をこのまま風化させるわけにはいきません。
本来、大日本帝国の後を継いでいる日本国、政府の仕事であるはずですが、政府がやらないのならば私たちが行うしかないのでしょう。NPO「空援隊」では、寄付金と隊員を募集しています。
アルピニスト・野口健はなぜ遺骨収集を始めたのか 遺骨収集シンポ詳報(1) (1/3ページ) – MSN産経ニュース
特定非営利活動法人 空援隊トップページ

奇襲について

ちなみに、日本軍が奇襲を良しとしたのは、明治の日本軍創世期に指導にあたったドイツ陸軍の俊英、メッケル少佐が「奇襲は有効な作戦。国際法でも認められる」と教えたことに始まるそうです。それまで「武士道や国際法にもとるのではないか」と先制攻撃や奇襲作戦に対して消極的だった日本は、これをお墨付きと捉え、以降「セオリー」として生真面目にそれを覚えたようです。

また、日本軍による宣戦布告前の奇襲的先制攻撃を激しく非難したアメリカですら、その後のベトナム戦争やパナマ戦争、湾岸戦争においても、とくに宣戦布告をしていないことや、同じように当時「電撃作戦」として奇襲攻撃を行ったドイツ軍が特にこの件に関して非難されていないことも、豆知識として知っておきたいところです。世界は非情です。

(櫻木)