時事問題

8月6日。広島の地に「残虐なる爆弾」が投下されてから、64年が過ぎた。
原爆の犠牲者には改めて衷心より追悼の意を、アメリカには改めて怒りの声を上げていきたい。

広島に投下された原爆「リトルボーイ」

広島に投下された原爆「リトルボーイ」

オバマ大統領が、非核化に向けた発言、アメリカの原爆投下に対する道義的責任を匂わせる発言をしたことから、これを評価するむきもあるようだが、調査によると未だにアメリカ人の60%は原爆投下に対して肯定的判断を下している。

いわゆる「原爆の投下が戦争の終結を早め、米国人兵士の被害が押さえられた」とする神話に基づくものである。

戦後の同盟関係は大事だろうが、こうしたアメリカの妄説と東京裁判史観には、徹底的に立ち向かわなくてはならない。

原爆がなかったら本土決戦の嘘

原爆投下が戦争の終結を早めたので、アメリカ人兵士と同時に日本人の被害も少なくて助かった、と思っている人もいるかも知れない。
これはとんでもない間違いである。

当時、日本に既に継戦能力がないことは、日本首脳部の誰もが知っていた。しかし降伏が出来なかったのは、「無条件降伏」ということになれば、戦勝国に何をされても文句が言えないからだ。日本人は全て開戦前の東南アジアの国々のように、教育も文化も禁じられ、アメリカの奴隷として扱われる。また、日本の国体の中心をなす天皇陛下も処刑され、2600年続いた日本というクニが事実上滅びることになる…。

実はアメリカも、日本に継戦能力がないことを知っていた。また、米国の知日派ジョセフ・グルーは、日本人が天皇をどれだけ重視しているか知っていたため、ポツダム宣言に天皇を温存する条項を盛り込むことを提案していた。

しかし、トルーマンはそれを削除させた。原爆投下前に日本に降伏されては困るからである。

悪魔の人体実験を行ったアメリカ

ポツダム宣言を、日本が呑めないようにしておいて、アメリカは原爆の投下を行った。
偉大なる前任者のルーズベルトに対し、新任で「田舎の雑貨屋の親父」と酷評されていたトルーマンは、国内に自分の威厳を示すためにも、日本に強圧的に当たる必要があった。それに、巨費を投じた原爆開発(マンハッタン計画)を税金の無駄と批判されないために、せっかく作った原爆を使いたかったのだ。

また、当時ソ連はヤルタ会談におけるアメリカとの密約に基づいて、日本への侵攻準備を進めていた。ソ連に対して新型爆弾の威力を見せつけることは、戦後のパワーバランスを確立するためにも意味があった。(そんなソ連に、アメリカとの講和の仲介を打診していた可哀想な日本…)

また、原子爆弾が都市と人体にどのような影響を与えるのかは、まだ知られていなかった。同じ白人であるドイツには投下できなかったが、黄色人種の日本人になら躊躇せず実験を行うことができる。
アメリカは、8月6日に広島に原爆を投下し、日本が降伏する前に急いで長崎に第二弾の原爆を投下した。ウラン型、プルトニウム型、2種類の実験データが欲しかったからだ。

このような身勝手で独善的な理由から、日本の無辜の民の命が数十万人、一瞬にして蒸発し、あるいは未だに後遺症に苦しんでいる。これが「人道に対する罪」でなくて、一体何が罪だろうか。

「あやまち」を繰り返さないために

唯一の被爆国である日本は、こうした歴史の事実とアメリカへの怒りを忘れてはならないし、今またシナ、北朝鮮という軍事独裁国家が、日本へ核ミサイルの標準を合わせていることを忘れてはならない。念仏のように平和主義を唱えているだけでいつまでも平和でいられるわけもない。

「あやまちを繰り返さない」ためには本当は何をしなければいけないのか。国民一人一人が本当に考えなくてはならないだろう。

(櫻木)