歴史と日本

更新が開いてしまい、すみません。(このサイトは「必ず毎日更新」という縛りを設けているわけではないのですが、なるべく頻繁に更新したいと考えているのです)

さて、数日前に話題作『硫黄島からの手紙』を観て来ましたので、以下つらつらと感想をつづっておきます。

しっかりした作り

日米戦の激戦地の代表、硫黄島の戦いを題材にした映画『硫黄島からの手紙』を見てきました。見始めてすぐ、非常によく調べてある映画であることに気付きました。同じくハリウッドで最近作られた“太平洋戦争”を題材とした映画では、たとえば数年前の『パール・ハーバー』なる三流娯楽映画があります。この作品では、

  • 日本軍の司令部は川中島のような中世風野戦陣営

  • その陣幕の外では兵士がふんどし姿で相撲を取っている
  • 零戦隊が真っ先に病院を襲撃する

などの噴飯ものの珍場面が展開していましたが、この『硫黄島からの手紙』はそういった考証に関しては、かなり正確を期したものに見えました。さすがに、メガホンを取ったクリント・イーストウッド本人が「これは日本映画だ」と言うだけのことはあります。

演出やストーリー展開も、ハリウッド人が作りがちな勧善懲悪、アメリカ絶対主義に陥ることはなく、中立的な視点を保とうとした努力が伺えます。投降した日本人捕虜を殺害してしまう場面など、従来の“太平洋戦争”を題材にしたハリウッド映画では決して描かれることのなかった場面ではないでしょうか。(日本人兵士の死体の“一部”を「お土産」として国に持ち帰ったりするなどの蛮行は今後も描かれないでしょうが)

気になる点

ただし、多少気になる点もあります。

まず、米軍の島嶼攻略戦で、唯一米国側の損害が日本軍のそれを上回るほど日本軍が健闘したことが伝わらないこと。映画を見ていると、開明的な見解を持った栗林中将の命令があまり守られず、あっさり全滅したような印象を受けます。

しかし実際は、米軍から「5日で落ちる」と予想されていた硫黄島は、栗林中将の指揮によって、1ヶ月以上の長期戦になりました。これは日本陸軍の宿痾である無意味な突撃を禁じ、地下陣地による徹底抗戦を選択したことによりますが、劇中では特に日数等の説明もなく、あっさり陥落したように見えました。

また、硫黄島はその名の通り、地下からは硫黄が噴き出す亜熱帯の島です。これを地下要塞化する工事は困難を極め、また地下行動内部の温度は50℃近くにもなり、飲料水も枯渇し、兵士達は爆撃の恐怖と同時に飢えと渇きとも戦っていたのです。

ところが映像では、淡いトーンのスタイリッシュな色彩で描かれ、「暑さ」は伝わってきません。それどころか、劇中で西郷一等兵が外に捨てに行くトイレバケツからは、ホカホカと湯気が立っているではないですか。どんな灼熱ウンコだよ、っていう。

クリント・イーストウッドの思い

イーストウッド監督が描こうとしたのは、前線で戦う一般兵士たちの悲哀と、故郷や家族を思う気持ち(愛国心)には敵味方を越えたものがある、というテーマなのだと思います。これは、この日本視点からの2作目を、当初は日本人監督に撮影させるつもりでいながら、「資料を集める際に日本軍兵士もアメリカ側の兵士と変わらない事がわかった」として自らがメガホンをとったことから伺うことができます。

しかし僕は、日本軍兵士とアメリカ軍兵士とは違う、と思います。
アメリカ軍にとってもこの戦いは死亡率の高い恐怖の戦いでしたが、「攻め戦」であり「勝ち戦」でした。

それに対して、勝利はおろか、局地的な防衛が成功する見込みもほとんどないこの絶望的な作戦を、

「1日でも多く敵を食い止めれば、本土の家族が1日でも長く平和に暮らせる」

という理由のみで戦い抜き、死んでいった日本軍兵士達のことを、僕はもっと多くの人に知って欲しいと思うし、この意味において、「日本軍兵士もアメリカ側の兵士と変わらない」と言い切ることはできないと思うのです。

また、彼らの犠牲の上に今日の日本の繁栄が成り立っていることも、こうした現場レベルでの命がけの努力が、破れたとは言え世界の敬意と一定以上の国際的地位を勝ち取る一因となったことも、現在を生きる我々が忘れてはいけないことだと思います。

クリント・イーストウッド氏もこう語ってくれています。

「若い日本兵達は島へ送られたとき、十中八九、生きては戻れないことを知っていました。彼らの生き様は歴史の中で描かれ、語られるに相応しいものがあります。私は、日本だけでなく世界中の人々に彼らがどんな人間であったかをぜひ知って欲しいのです。」

忘れてはいけない島

この映画に付けられているキャッチコピー「世界が忘れてはいけない島がある」は、まさにその通りです。とりわけ日本人が忘れてはいけない島でしょう。学校の歴史教育でも、原始人のことや朝鮮のテロリストのことなどを教える暇があるなら、こうした歴史をこそもっと教えるべきではないでしょうか。
この種の日本にっての重要なメッセージが、アメリカの作った映画によって多くの日本人に知らされるというのは、何とも象徴的な現象です。

「私が見て育った戦争映画の多くは、どちらかが正義で、どちらかが悪だと描いていました。しかし、人生も戦争も、そういうものではないのです。
 ――クリント・イーストウッド」
父親たちの星条旗 | 硫黄島からの手紙

……そして、硫黄島と同じくらい、日本人が忘れては行けない島、占守島のことも覚えておいてください。
占守島の戦い ~北海道を守った男達~

(櫻木)