時事問題

20070422.jpg一日にして33人が犠牲となった、バージニア工科大学の銃乱射事件。アメリカが銃社会でなかったらこのような問題は起きなかったのだろうか。
アメリカでは、合法的に銃を手に入れることができる。このいわゆる「銃社会」を批判する声は多い。例えば日本では、アメリカで銃撃事件が起きるたびに、「アメリカの銃社会が問題で~」決まり文句のようにテレビでコメントされる。15年前、日本人留学生がハロウィンのときに誤射殺された際には特に大きな批判の声が上がった。

しかし、アメリカ本国ではこんな声もあるらしい。


「被害に遭った学生がきちんと銃を持っていなかったから被害が拡大した。」

なるほど、それは確かにそうだ。バージニア工科大学は、キャンパス内への銃の持ち込みを厳しく規制している大学だったのだが、それが逆に学生の対抗手段を奪った、と。

一理あるような気もするが、それを言うなら、学生に銃を持たせない代わりに、きちんと武装警備員を配置しておくのがベストだったんじゃないかと思う。それか風紀委員のみ武装して学内を見回りしているとか。(『魔界都市学園』的な)

いずれにせよ、「世の中に一度存在してしまったものは消せない」のがこの世の真理なので、核兵器の廃絶や戦争の根絶が達成できないのと同様、アメリカの銃社会の伝統は今からくつがえることはないだろう。

また、忘れてはならないのは、これはどこまで行ってもアメリカの国内問題、という事実である。たとえば日常的に自国民が銃撃されて毎日何人も死んでいる、という日支事変前夜の支那大陸のような状態だったり、アメリカ製の拳銃が日本に不正輸出されて在日暴力団の手に渡っている、といったような事情でもない限り、無闇と口を出すのは内政干渉にあたる。

冒頭の日本人留学生射殺事件、被告を無罪とした法廷における裁判官の次の言葉は、アメリカ社会を象徴している。

「玄関のベルが鳴ったら、誰に対しても、銃を手にしてドアを開ける法的権利がある。それがこの国の法律だ」

(櫻木)