ブログ論

今日、時間がなかったので会社の近くの座り食い蕎麦屋で天蕎麦を食べたら、隣でもり蕎麦を頼んだ男が、食べる前に「カシャアッ!」とケータイで写真を撮っていた。ブログにでも投稿するつもりか。「今日のお昼はお蕎麦でーす☆」か。いいからさっさと食え、蕎麦が伸びる!


昨日「ある程度は質を犠牲にしてでも少しでも毎日更新することが大事」とは言ったけど、それは最初から「質を考えずに書き散らかす」というのとは違う。

どこかで読んだ話だが、ある戦国武将は、客人をもてなすときに、料理の汁物を人数分の数倍作らせたという。「10作ればその中に2か3は成功するものがあるだろう」というわけだ。

多作で知られる音楽プロデューサー、つんく♂は、「とにかく沢山作る中から、100年200年残る傑作が生まれる」と言っていた。モーツァルトが多作なのも有名な話だ。
僕も、モーツァルトやつんく♂のようなマスターピースは作れないまでも、たくさん書いているうちに少しはましなものが蓄積できるんじゃないかと希望的観測をもって更新している。

それから、コメント欄でこんな指摘をいただいた。

>例えばコメントをつけやすく、話題にしやすいブログの巡回は欠かさないものです。

ううむ、確かに。でもこれは朱雀式が弱い部分なのだ。
でもコメントに関しては、mixiやTwitterではそれなりに付くんだよなあ。最初の思いつきをTwitterに投稿したり、「サイト用の日記の下書き」をmixiに投稿したりすると、それはそれで反応(コメント)はある。
しかし、これはよくよく考えるとさらに恐ろしいデフレスパイラルを招く。

はて部ではこんなコメントがあった。

yositune ところが現状、ミクシやツイッタなどに人が分散してしまって「ウェブサイト」に固執する人間が少ないという問題も。

なるほど、これは慧眼である。mixiに代表されるSNS日記は、違法ダウンロードが音楽業界に与えるのよりも深刻な影響を、ブロゴスフィアに与えるだろう。そのカタストロフィーの深刻さは、かつてテキストサイト界がブロゴスフィアの侵食を受けたとき(セカンドインパクト)に比ぶべくもない。

しかも、ここにさらに先ほどの恐ろしい事実がある。サイトと同様の内容をmixiに投稿して、そちらにだけコメントが付く。つまり、いまやウェブサイトへの更新力の集中どころか、コメントすらSNSやTwitterに奪われてしまっているのだ。

(櫻木)