コラム

 現在、バスで片道40分かけて保育園へ通園している。渋滞ともなれば、1時間位乗っていることもしばしばある。そんなこんなで今まで、朝早くて夜遅いという生活が続き、最近はバスの中で我が子がグズる事が多くなっていた。バスの中で一度グズり出せば、狭い空間だけに、その声は車内中に響き渡り、迷惑そうな視線を向けられる。

 宥めて、すかして、なんとかしようとする私の声も、地声が大きいのと、焦っているせいで迷惑そうだ。しかも、知恵のついてきた我が子は、嘘泣きまでもする。子供の声というのは耳につくようにできているのだが、より以上に耳につき、イラつかせる。周りの人たちが、冷たい視線を送る気持ちも、舌打ちをしてしまう気持ちもよくわかるだけに、頭を悩ませていた。

 その中で、毎回舌打ちした上、ブツブツ文句を言う中年の男性がいた。神経質そうな風貌だが、いつも手入れの行き届いた上品なスーツを着ている。きっと、奥様がきちんとした方なのだろう。この日は、真後ろの席だったので、

 「申し訳ありません」

 と声をかけた。それでも我が子は泣き止まない。しかし、また舌打ちをされる。その瞬間、これまで私の中に蓄積されたものが爆発した。

 「子供って、泣くものじゃありませんか?」

 そうすると、中年男性は面倒くさそうに、

 「だったら、もっと早く起こして、きちんとしてくりゃあいいんだよ」

 と応じた。私の怒りはピークに達した。

 「午前6時30分には起こしてますが、何か? お子さんいらっしゃいます?」

子連れのバス、舌打ちに悔し涙した私 – OhmyNews:オーマイニュース “市民みんなが記者だ”

何だかなあ。書いた本人の思惑に反して、それほどこの人が「正しい」というか、素直に「頑張れ」と言うような雰囲気にはなれない文章ですね。

働きながら子育てするのも、近い保育園に入れなかったのも、こちらの勝手。」

と開き直るのもまぁご立派ですけど、しわ寄せがいくのは周りの乗客、ツケを背負い込むのはその子供、ですね。

そこで思い出したのは、先日も紹介したこの記事より。

私は日本の子どもたちがとても好きだ。私は今まで赤ん坊の泣くのを聞いたことがなく、子どもがうるさかったり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。日本では孝行が何ものにも優先する美徳である。何も文句を言わずに従うことが何世紀にもわたる習慣となっている。英国の母親たちが、子どもを脅したり、手練手管を使って騙したりして、いやいやながら服従させるような光景は、日本には見られない。

私は、子どもたちが自分たちだけで面白く遊べるように、うまく仕込まれているのに感心する。家庭教育の一つは、いろいろな遊戯の規則を覚えることである。規則は絶対であり、疑問が出たときには、口論して遊戯を中止するのではなく、年長の子の命令で問題を解決する。子どもたちは自分たちだけで遊び、いつも大人の手を借りるようなことはない。

■イザベラ・バード 1878年

ぼやきくっくり | 外国人から見た日本と日本人(1)

何というか、130年経ったらもう完全に別の国ですね。先述の母親だって、専業主婦だったらまた話も違うだろうけど、共働きせずに子育てできるのなんて今の日本では完全に特権階級ですからね。素晴らしき小泉改革よ。

(櫻木)