国際関係

「朱雀さんは、中国人がキライなのか?」と聞かれた。そういう訳ではない。シナ人にも良い人はいるし、悪い人もいる。ただ、「悪い国だからこいつも悪人」とはならない代わりに、「良い人がいるから良い国」とはならない。木のみを見て森を語ることも、森のみ見て、ある特定の木を語ることもできないのだ。

ただし、日本に来ているシナ人の場合、日本人と日本社会に対して仇なす存在である可能性が高い。だから「注意すべき存在」であると思っている。善良なシナ人には悪いが、これは「よく荒れる海で泳ぐときは高波に十分注意すること」という論理と同様、身の安全を図る上で当然の話である。人種差別とかそういう問題ではないのだ。

日本人を見たら鬼子と思え?

「人を見たら泥棒と思え」という言葉がある。僕は“性悪説”に基づいたこの言葉が基本的に嫌いだ。人は皆、生まれつき善性を備えているはずであると思う。しかし、生まれた後の環境、しつけ、そして教育こそが、その人の人格を形作る。その意味では、年端も行かぬ頃から「日本人は鬼子」「日本人は残虐」と洗脳し続けた結果、シナの若者は「日本人になら何をしてもいい」「日本人に仕返しをしなくてはいけない」と自然に思うようになってしまった。この現状は、中国共産党の教育の、紛れもない成果なのだ。国家百年の計は、教育にこそある。

特に国家主席が江沢民になってから、国を挙げての反日教育が強化され、政治面でも「日本には歴史問題を永遠に言い続けろ」という指示が出されていたことが明らかになっている。

しかし、90年代にそうした教育が行われていたことを知ることはあまり多くない気がする。これについて、

しかし、聞いて驚いたことに、当時の日本政府も駐在大使館もメディアも…誰も中国政府に対して「反日キャンペーンは日中関係にとってよろしくないので、自制していただきたい」という申し入れをしていないのである。
反日キャンペーンの危険を最初に指摘したのは外国メディアである。
『ニューヨークタイムス』は直後に「反日キャンペーンは良好な日中関係を損なうので止めた方がいい」というオピニオンを掲げている。
私の記憶するかぎり、日本のメディアはそのような報道をしていない。
内田樹の研究室 2006: 江沢民の選択

という指摘は重要である。(この辺りの経緯は『 「反日」で生きのびる中国 -江沢民の戦争:』に詳しい。)

そして日本は、その悪循環のレールにはまったまま、また同じことを繰り返そうとしている。

中国という国家

翻って国際政治の世界でも、シナがこれまで「日中友好」という薄笑いの影で何をしてきたか。彼らは口では何とも言うが、その実腹の中で考えていることは、自分達の都合、金儲けのことだけである。

ODAという名の巨額の朝貢をし、自国の教育を好きなように改竄され、歴史をも譲り渡し、海底資源も差し出し、この上何を売り渡すのだ。福田総理。なめられるのもいい加減にしてくれ。

本来なら90年代にしておくべきであった、「反日教育を自重せよ」という指摘は、2000年代が終わろうとしている現在になってもなされていない。これ以上根拠なき「反日」を暴走させれば、いずれ両国の破滅をもたらすだろう。

(櫻木)