教育問題というのは、僕らの生活と国家の根幹を成す重大事だ。教育問題に比べたら、経済問題も防衛問題も取るに足らない。教育問題さえ解決すれば、経済も防衛も、あとは時間が解決してくれる。優秀な人材が社会を支えるようになるからだ。
逆に、教育に失敗すると、全てががたがたと崩れていく。すぐには影響が出ない。しかしまるで歯槽膿漏になった歯のように、根元からぐらぐらしていって、100年後には全てが失敗する。
特に昨今は、いわゆる「ゆとり教育」の弊害が公然と語られ、とうとう政府側までもがゆとり教育が失敗だったことを認めるに至った。遅きに失した感はあるが、ギリギリ日本が国家として成立しているうちにナントカして欲しいものだと思う。
さて、そんなゆとり世代の声だろうか、はてな匿名ダイアリーで見たこんな意見。
■小中高までの教育議論をみていると
結局のところ、日本の指導的ポジションにいる老人達は円環的時間のなかに子どもを閉じ込めて、自分達の予期可能な範囲のことしか出来ない人々だけを生産したいってこと?
イノベーションとか口先だけだよね。社会を変革できるような人材、したいような人材は、叩き潰したいと思ってるんじゃないかというか。もちろん、子どもの親は、彼ら老人より若いので老人達とは考えが違うので、信用されていないし、決定権も奪われている。「モンスターペアレンツ」って、要はそういうことだ。親としての当然の権限・権利行使にはモンスターのレッテル。
(小中高までの教育議論をみていると)
何だろう、これ。もう「ゆとり乙」としか言いようがない。「円環的時間の中に云々」というのは、要するに授業時間を増やして、画一的な教え方をする従来型の教育の事を指しているのだろう。それがイヤってのは要するにやっぱり「総合的な学習の時間」とか「いきるちから」とかやれってことかね。
「モンスターペアレンツって要はそういうこと」? はて。モンスターペアレンツって給食費を払わない、集合写真の並び順に文句をつけるような馬鹿親のことでしょう。そんなのを擁護してどうすんの。親としての当然の権利って何。その前にまず当然の義務を果たせっての。
それに、この人は致命的に勘違いしているようなので教えてあげよう。
イノベーションだの社会を革新する人材だの、そんな個性溢れる人材は、そもそも学校教育では育ちません。例えば小学校教育は、集団で管理して、猿同然の未熟な子供を、せめて人並みに行動できるように訓練する場所です。
そして、社会を変革するような才能や、何者かになるような個性は、そうやって押さえつけられたとしても、与えられたワクからおのずとはみ出す部分です。
さらには、「イノベーション」とは、ある時突然空っぽの脳みそにひらめくような突拍子もない「思いつき」ではなく、地道な努力と継続的な勉強によって成り立つ知識の上に、さらに地味な改善を重ねた末に見えてくるものなのです。
最初から「個性を育てよう」なんて耳障りのいいことを言って子供や幼稚な親に迎合して生まれる個性は、せいぜいが生まれてくる子供に読みづらい漢字を付けたりする程度のものでしかありません。
(櫻木)
「イノベーションだの社会を革新する人材だの、そんな個性溢れる人材は、そもそも学校教育では育ちません」