時事問題

ブログブームによって、ネットで時事、政治、国際問題を語るという行為は、より我々に身近なものになった。圧倒的な人数と情報量と流動ノイズをもつ大掲示板と、固定化された一定数の人間が識見を述べるブログとが、車輪の両輪となって昨今のネット世論を形成しているのだと思う。

また、そうした若年層を中心としたネット世論には、“右傾化”“保守化”の傾向がある、とよく指摘される。(これまでの極左の売国反日メディアに対して正常化が進んでいるだけだと思うが)そういった傾向やネット言論は、しばしば「ネット右翼」「ネットイナゴ」などと冷笑される。

そして、自分で参戦しなくなってみると「ネットで天下国家のことを言い争っている連中なんて、よっぽどヒマなんだな!」とかいう気持ちになることも多かったです。実際に仕事で疲れ果てて「風呂に入って寝るだけ」というユニコーンの『働く男』みたいな状態に自分がなってみると、「ワーキングプア問題を真剣に討議しているネットの人たちって、なんて高等遊民なんだろう!」とか思ったりもしたわけですよこの僕が。
(略)
ほんと、世間一般の一生懸命働いている人の感覚からすれば、「ネットで毎日長文を書いている」とかいうだけで、もう「違う世界の人」みたいな感じなのかもしれませんね。(琥珀色の戯言 – 僕が『信頼の手』を離してしまったこと

2ちゃんねるなどで、韓国や中国を差別する連中を「ネット右翼」と呼ぶが、前にも書いたように、これは正確ではない。当ブログの記事についての反応を見ると、「慰安婦」のような話題については、たしかに賛同する意見が圧倒的だが、デジタル放送や著作権法などの話題では、むしろ反政府的な意見が共感を集める。彼らが朝日新聞を攻撃する理由は、政治的な保守主義ではなく、知的エスタブリッシュメントへの反発なのだ。

その意味で、政治的に中立な「ネットイナゴ」という言葉のほうがいい。ウィキペディアによれば、この言葉を定着させたのは産経新聞の記事だそうだ。たしかにこれはうまいネーミングで、1匹ずつは取るに足りない虫けらが、付和雷同して巨大な群れをなし、作物を食い散らかす様子によく似ている。(池田信夫 blog はてなに集まるネットイナゴ

僕は現実社会で発言権がないわけではないが、それは業務上の発言権である。政治的な発言をは、日常会話では扱わないのがマナーだ。それを「やつらはネットでしか鬱憤晴らしができないからw」と批判するのは、どこの評論家なのだろう。

そもそも現実界で発言の場がない人が、ネットにそれを求めて何がいけないのだろうか。単純に仕事のストレス解消や不満のはけ口としてしか利用していない人もいるかもしれないが、そうでない人、言論とは関係ない仕事をしながら、真実の調査結果を発表している人もいれば、毎日素晴らしいブログ記事を書いている人もいる。

ネットの普及によって、旧来メディアの欺瞞が暴かれ、一介のネットユーザーでも世界に真実を問うことができるようになった。言論ではないが、THE FAKE OF NANKINGはまさにその象徴ではないか。

たとえ自分で社会に対して現実的行動ができなくても、着実に何らかの影響を及ぼすことができるのだ。僕の記事は残念ながらまだそれほど素晴らしくないが、それでも毎日真摯に書いている。それを読んで「考えるヒントになった」と言ってくれる人がいる。僕の記事をきっかけに、生活が変わった人、実際に行動に移してくれた人がいる。社会問題について全く知らなかったことを知ることができた、という人もいる。

ネットはバーチャルだが、意見はリアルだ。僕はそれでいいと思う。

それにしてもなぜ彼らは「ヒマな連中」「虫けら」等と“ネット大衆”を冷酷に断罪することができるのだろう。
かつてはこの池田先生のような一部の特権階級に握られていた言論の自由が、ネットの普及によって大衆のものになった。いかにも、「毎日長文を書いている」なんていうのは、特権階級だったし、今もそうなのだ。

しばらくまえに、「地球が100人の村だったら」というネット文章が流行った。

地球が100人の村だったら、70人は文字が読めません 。
50人は栄養失調に苦しみ1人が瀕死の状態にあり
大学の教育を受けたのはたった1人だけで、
コンピューターを所有しているのも1人だけです

パソコンを持っているのなんて、地球上の1%でしかないのだ。しかしそれが、日本では61.8%にも及ぶ。

かつて、大宅壮一は戦後日本の大衆を「一億総評論家」と評したが、その後、テレビ時代になって「一億総白痴化」とした。そしてまた、ネットの力によって大衆は「評論家」に返り咲こうとしている。

かつて、明治期の日本を動かした原動力は、若い世代の自由民権運動や政治熱であり、彼らの透き通るような愛国心が果たした役割は大きかった。そして今、ネットによって、平成の若者も言論の自由と発表の場を与えられたのだ。

1%に属する現代日本に暮らす我々は、その権利を行使するべきだと思う。それが僕らのWEB武士道、ノブレス・オブリージュなのだから。

(櫻木)