「自衛隊は人殺しの練習をしている」
こんな80年代左翼的な言辞がいまだにまかり通るという悲しさ。
「人殺し」発言で知事謝罪 埼玉県に抗議殺到 ’07/4/3
上田清司埼玉県知事が二日の入庁式で「自衛官は人殺しの練習をしている」と発言した問題で、上田知事は三日午後の記者会見で「自衛隊、警察関係者に不快な思いをさせ、誠に申し訳ない」と謝罪した。県には同日夕までに抗議のメールや電話が計約八百件寄せられた。
入庁式での発言後「『殺傷』なら良かった」と報道陣に語ったことについても「別の表現が妥当だった」と述べた。
(「人殺し」発言で知事謝罪 埼玉県に抗議殺到)
「殺傷ならよかった」ってそんなわけないだろうに。
自衛隊は人殺しのための組織ではありません。すでに各所から抗議があるように、災害救助においても日本で最高の能力をもった組織ですし、先制攻撃手段をほぼすべて禁じられた自衛隊は、やはり何かを守るための部隊なのです。
■軍人がするのは死ぬ練習
しかし、それ以前に軍人は、いや、武人は、人殺しを生業とするものではありません。
『宮本武蔵』に、都甲太兵衛(とごうたへえ)という人物が出てきます。細川藩主に「我が藩士に見るべき者はいるか」と尋ねられ、武蔵が指したのがこの人でした。太兵衛は、家にいるときは常に天井から抜き身の刀を吊るし、いつでも死ねる覚悟と緊張感を持って暮らしていたといいます。
「武士道というは死ぬことと見つけたり」とは、あまりに有名な『葉隠れ』の一節ですが、死を覚悟した者こそが、最も勇敢に戦い、最もその生を輝かせることができる、というのが日本における戦士の思想でした。
ただ、Winnyやらハニートラップやらで敵国に機密情報だだ漏れの現状を鑑みるに、一部の隊員はまず己の欲望に打ち克つところから始めないとなりませんか…。
(櫻木)
そもそも自衛隊の活動は防衛出動、災害派遣、治安維持、海外派遣が主な任務である。
まあ、仮に自衛隊は人殺しの練習をしていたとしても国の上層部が舵取りを確りしていれば何の問題も無い筈だが、左翼的人間に限って戯言を垂れ流し、真っ先に逃げ、同志も裏切り、部下に責任転換、危険を予測することなくも問題先送りする。
本質的にはそれらは「軍隊」のメインの仕事ではないはずなんですが、平時の日本に於いて、それらを自衛隊以上にうまく実行できる組織もないのですよね。
ならば最低限の敬意と感謝を払うべきなのは当然のことですが、日教組や共産主義者のような国家解体論者にとっては、その任務を遂行する組織自体が邪魔なんですね。