時事問題

前回、「国益について」というテキストで、次のように述べました。

国家、民族だって同じことでしょう。民族の物語と同様、国家としてのプライドを失えば、その国は亡国の一途を辿ります。残念ながらそれは今のこの国のありようが証明しつつあります。

国家の物語、民族の誇り。それが真の国益です。

これについて、言及先のkechackさんから「国益と言う言葉を拡大解釈しすぎではないか。そういう意味なら国威という表現はどうか」という意見をいただきました。真の国益とは何か – 朱雀式(ここ数日、やる夫で遊んでいる間に返答が随分と遅れまして、すいません…)

確かに国威も大事です。折に触れ大いに発揚していきたいものです。また確かに「誇り=国益」としてしまったのは色々と端折りすぎというか、飛躍しすぎですね。

そこで、当該文章を次のように書き足しました。

国家の物語、民族の誇り。それが真の国益です。

 ↓

国家の物語、民族の誇り。それを守り育てることこそが、真の国益につながるのです。

それでは、そもそも「国益」とは何なのか、改めて考えてみます。

国益とは何か

まず、辞書的な定義から言うと、国益とは「対外関係における、国家の利益」です。どの部分を利益とするかについて見解の相違があるために議論になるわけですが、少なくとも利益を損なうものでない必要があると思います。

前項を読んで、「日本の国益を守るために中国と断交せよ」というような主張と読んでしまった人もいるようですが、そうではありません。中国との経済関係をどうしていくかは慎重に考えていく必要があると思いますし、大陸における日本の権益や日本商社の経済活動は、保全されるべきものだと思います。

ただし、今は毒食品によって日本国民の健康が脅かされているときです。国家は、その国民の生命と安全を守るための装置でもあります。そして、それは経済的利益に優先するものでしょう。

国民の生命と安全 > 経済的利益

しかし、最近の毒食品をめぐる一連の動きを見ていると、とうとう国民の生命と安全すら、経済的利益と引き換えにしようとしている人々がいるようです。

経済的利益 > 国民の生命と安全

「中国食品の禁輸は日本の国益に反する」という勢力ですね。
これだけでも問題ですが、しかも、その経済的利益は、目先の金儲けに目がくらんで長期的な損失を招くようなものに見えます。国益としての経済的利益は、商家の三代目のボンボンが、家財を売り払って金に換えて贅沢をして、四代目でつぶれるような利益であってはいけないのです。

また、いくら生命と安全を守るためとはいえ、政権や財界が国家の威信やプレゼンスを貶めるような行動を取ると、それも長期的には国益を損なうことになるでしょう。

国益の優先順位を見誤る日本

例えば、南米では今でも日本人ビジネスマンの誘拐事件が多発しています。身代金目的の誘拐です。同じように金を持っていそうな外国人でも、例えばアメリカ人はさらわれません。アメリカやイスラエルやロシアは、自国民が外国で誘拐されたら、特殊部隊を送り込んで人質を救出するでしょう。あるいは、人質の生死に関わらず、その誘拐組織は壊滅するはずです。テロ、誘拐に対して身代金を払うことは、一番やってはいけないことです。
日本人は、脅せばすぐに金を払う、国威や経済よりも生命を重視している、そう思われているし、実際そのようにふるまっているので、今後も日本人は国外で災難に会い続けるでしょう。

日本も、これらの価値の優先順位を、次のように再配置する必要があるのではないでしょうか。

国威、誇り > 国民の生命と安全 > 経済的利益(長期) > 経済的利益(短期

これらを明確に順位付けし、適切に国家を運営していくことが、ひいては近隣諸国との平和な関係や、長期的な国の繁栄につながっていくのだと僕は考えています。つまり、教育や防衛などの重要問題についても、これらの視点は不可欠です。

そんなことを考えた紀元節でした。

(櫻木)