我々はブログに何を託しているのか。日本語とは何か。実に世界のブログ投稿数の37%が日本語という、日本人の突出したブログ人口比の高さは何を意味するのか。
先日書いた「なんの唐突もなく日本語を破壊する人々 – 朱雀式」には、思った以上の反響がありました。やはり日頃から個人ブログなんていうパーソナルな文章メディアまで見たり書いたりしている人は、言葉に対して相当意識的な人が多いようです。
そして、あんな若者の言葉の乱れを憂うようなことを言ったら、ワカモノたちに一斉にバッシングされてしまうかと思ったらそうでもなく、寄せられたトラックバックでも賛否両論でした。
言葉はコミュニケーションの道具。時代に合わせて変わっていくもんだし、変わっていくべきです。「伝える」ことが目的なのでね。その目的が達成されやすいように変わっていく。それが言葉の発展じゃないかと思っているわけです。そしてその蓄積がまさしく現在の言語となっているんじゃないですかね。
(言葉の乱れをあつめてはやし最上川 – タケルンバ卿日記)
言葉に何を託すか、という観点では、第一義的にはそれがコミュニケーションの手段であることは間違いないでしょう。しかし、例えばだからといって「言語の発展」を各人が好きなように進めていったら、ジャーゴンだらけで自分の周辺のコロニーでしか会話が成立しない、「言語アノミー状態」が到来するのではないでしょうか。
まあこれはちょっと飛躍ですが、そもそもインターネットにおける「言葉」という存在に何を仮託するか、つまり「ブログ」という存在をどう規定するかによるもののようです。
こちらのタケルンバさんは、ブログを「話し言葉のコミュニケーション」として捉えているようです。
すると、そもそもの前提からして僕とは違う。僕はブログと言う場を文章による表現の場、文章修行の道場と位置づけています。ここで毎日繰り広げられているのは、閲覧者一人一人に向けた手紙、あるいは学級新聞、アジビラのようなものです。
「時代性」を金科玉条に、「時代が違うから若者言葉も辞書に載せるべき」と日本語が蹂躙される現象に対する怒りがありありと伝わってくる。これは喋り言葉とは違う、書き言葉の考察。口で「マジ? だっせー!」と言う事と、文章で「本当? あまりかっこよくないね」と書く事は別のレイヤーの話である。
(正しい日本語でブログを書くのは最低限のマナー? | 1953ColdSummer)
時代性が常に正解で、最新の状態を常に最良とする、というのは、おそらくデジタル世代の自然な感覚だと思います。僕もWindowsは自動更新にしてますし、秀丸がアップデートされたら更新します。こうしてブログをほぼ毎日のように更新しているのだって、「最新」の状態を保っておきたいからとも言えます。
しかし、その考え方を伝統や文化の介在するところにまで無遠慮に敷衍していったら、大変なことになってしまいます。
支那から漢字が伝わったときにだって、そのまま言葉としてそれを取り入れていたら、日本は中華文明圏の中に取り込まれていたことでしょうし、大東亜戦争の敗戦後に公用語を英語にしていたら(実際そういう議論があった)、日本はとっくにアメリカ合衆国ジャパン州になっていたことでしょう。(こちらは事実上なりかけてますが)
日本人を日本人たらしめているのは単一民族としての血統ではなく、日本語の伝統です。先日、台湾に行ったとき、日本語を“母国語”として育った老人達と日本語で話をしていて、そのことを実感しました。彼らは今でも日本人よりも日本人的な、“元日本人”でした。まさに、「国家とは国語」なのです。
(櫻木)
大筋で共感した意見であるから、足跡を殘させて頂きたい。mediaとは媒體(mediumの複數)、mass mediaで「多くを傳へる」。人間が何かを腦たる思考へと入力するには、言語をベースに、聞くか讀むかせねばならぬ。この内、mass mediaたるブログ(web log)は、logとあるやうに記録であるから、大筋で讀む方に該當するであらう。
言葉は傳逹手段にすぎない・・・・まさしくその通りだ。元々はさうだつた(然し今はそれだけではないのである)。では試しに、日本國は國語に於て日本語ではなく英語だけ、佛語だけ、北京語だけ・・・et cetera を教へろとなつた時どう感じるか。ホラ、話はそれで通じるぢやない。でも大多數の日本人がボンヤリと「をかしい」と思ふだらう。「なぜ國語で日本語を教へぬのか」と。これは「國史(日本史)を教へるな」といふ程の暴擧である。この違和感は何であつたのか。それはもう少し掘り下げねばなるまい。
公用語を複數定める國や一つだけ定める國(猶日本は事實上日本語となつてゐて法制上の公用語は無い)がある。多ければ多い程官僚は(憶えるのに)大變だが、それでも三つ四つと指定するのは、その公用語を話す民族らがその國家の人間として育つて欲しいからに他ならない。
これはすなはち、ある言葉を話す民族にとつて自分たちの言葉が如何に大切であるかを物語つてゐる。我々はかういつた事例に於ける民族の概念を知つてゐる。文化(culture)である。
文化が異なれば、文明(civilization)は衝突する。歴史の示す通りである。公用語に自分たちの言葉が無ければ住みにくいのは當然であらう(衝突してゐるのだから)。
言語とは何だらう。我々は普段、言葉を「林檎=Apple」など簡單に置換るけれども、言語が異なれば全く概念は異なるものとなる。日本語ではただの指でも、英語では「親指・指・足の指」と大きく分かれる。この違ひは何か。雜多な例をあげてみよう。
フランス語では90を「quatre-vingt-dix」(キャトフ・ヴァン・ディス)といふが、これはquatre(4)vingt(20)dix(10)で、4*20+10の意味である。
quatreは、イタリア語の四重奏「quartetto(カルテット)」に通ずるものがあるし、英語ではクオータ「quarter」コインで四分の一の意味が在る。ラテン語では4をquattuorと云つて、歐州では一般的なのだらう。quarterはラテン語のquartariusがどうにも語源らしく、これは英語に在るgallon(ガロン、液量單位)の四分の一といふ意味が在つた。gallonはラテン語のgalona(水差)かgalleta(ワイン用の枡)に由來するらしい。
dixは、英語にdigit(アラビア數字、手指全て、などを指す)があつて、これはラテン語ではdigitus(指)に由來するといふひ、またラテン語では10をdecemといふ。10をde(di)あたりで表現してゐたらしい。
vingtも、ラテン語をみれば20をvigintiといひ、語源はこれであらう。英語にはvigesimal(20の、20進法、番目)といふ單語がある。
日本語では90を「ここのそ」といつてノは助詞で、「ここ」が9を表し、「そ」が10代を表す。ゆゑに9*10の意味である。現代でも一般に使ふ表現ならば「みそぢ」は「み(3)」「そ(10)」「ち(路)」の意味であるが、これには助詞が無い(フジハラノ某のノが略されたものと同等で、同格表現に似てゐる)。「ひとつ」「ふたつ」「みつつ」のツは、英語の「tenth」など「th」と思へばよい。日本語では「ひふみ・・・とほ(そ)、もも(ほ)、ち、よろづ」などの數詞がある(ex.やほよろづ)。
何にせよ一つの概念でも、立ち位置はまるで異なる。ギリシア數字は「1,2,3,5,10」などがあり、90=(5-1)*10と考へた。日本語やフランス語は先述。大いに異なる發想ではなからうか。これも文化なのだらう。
英語ではラテン比較級なんて物があるやうに、かなり語彙をラテン語に依存してゐる。日本語は漢語が語彙を補つてゐる。とはいへ、古くからの言葉にはその民族の傳統的表現の痕跡が在る。其の例が「ミソヂ(三十路)」であり、これを音讀して「サンジフロ」とはいはぬ。と、同時に外來語は不思議な變化をすることがある。外來語が變質する要因はここにあるのだけれど、日本では特に漢字を取入れ萬葉假名を發明した事で言語表記體系自體に外來語を吸收しやすい土壤があるやうに見受けられる。誠にカタカナは偉大である。
外來語の變化は傳逹手段變質を擁護する根據となり得ない。なぜならば、日本語本來の「ミソヂ」や「ヤホヨロズ」の意義は絶對にかはらないからであり、外來とは無縁の位置を占めるからである。これを福田恆存氏をして「語に從ふ」といはしめた由縁の所であらう。
では、話し言葉(口語)はどうか。成る程、單語や時に語法は變はるだらう。文法上間違つてゐても、慣習でさういふのだからと納得する他無い所がある。これはだいたいに於いて全ての言語で見受けられる。
「にほん」だつて「につぽん」の誤りであり、當代風に「につぽん」が變化したなら「にっほん」である(上古ではハ行はパ行音だつたらしい)。古くはニチポンであつただらうが、まるで朝鮮語の漢音(イルボン、イルは金日成の讀みで有名か)のやうである。一方で本家漢音は北京語ではリーベン、廣東語ではヤップンだとか。
さて、これらの誤りはいづれだいたいを文法が驅逐することになる。一方で驅逐されなかつた物は、文化と傳統が認めて呉れたものと受け入れる他なからう。いはば現代藝術と藝術史の對立のやうなものである。
ここまではほぼ口語に關してであつた。書き言葉の正書法(文語)となれば、綴りなどになほ愼重をきたさねばなるまい。
文字は讀む物だ。文字と話し言葉は分離せねばならぬ。讀字障礙[Dyslexia]なる物があるさうだが、これは人間が文字を使へるやうに進化してきてはゐないから起きるといふ。では、文字とは何であるのか。記號(表意文字が表音化した例が多く、判別といふ可讀性も加味された)であり、單語として概念を綴る物である。表記では「單語」が重要なのだ。
スペルが古形を保つのは自然の成行きと言へる。「knight」が上代ではクナイトと讀んだらしい事、ラテン語では古代に絶えたが爲に綴りをそのまま發音する事からわかる樣に、發音は變はつてもスペルは變はらない。スペル自體に意味があるからである。なほ「武士道」にあるが如く、knightはサムラヒ同樣從者をさす。
なぜ古形を保つかといへば、古典に答へがある。人は文字を發明した。言葉を表記できるやうになつたが、言葉と違つて後天性の物だ。だから、まづ先人の綴り方を參考にした。故に古形を保つたのではないかと思はれる(ほぼ全ての文字のある言語に於いて)。
また、古形を保つ事は古代に祖先がどのやうに言葉を考へたかのヒントを與へて呉れるオマケがある。カツヲは「カタウヲ」が約まつた物であるなど、語源を解釋しやすい。
單語が大切だからこそ、「語に從ふ」ことも忘れずにありたいと愚考する次第である。
cf.言葉遣ひ論・擴張
言葉とは思考であると感じる。論理は言語にもとづくし、言語によつては論理が異なる。「指」が好例であるが、かういつた細かい差異が文化を形成する一因となつてゐる事は疑ふべくもない。言葉は古代人が如何に「名付けた」かの痕跡だからであり、その文化は今も生きてゐる。
さういつた意味でも言葉は大切にしたい。と同時に、正書法も大事にしたい。
古事記などには「ある文(ふみ)」とあり、全く散逸してわからぬが、何らかの引用があつたらしい事がわかつてゐる。つまり、日本には古事記・日本書紀・萬葉集以前の文書があつたらしいといふのである。
ますます漢字傳來時期がわからぬが、支那人と同系であれば我々は文字を持つて日本にきたはづである。殷墟から文字が見つかつてゐるさうだから、紀元前千年以上前には支那には文字があつた(甲骨文字では四千年も下る事になる)。日本人の渡來時期は支那人が字を持つよりも古い時期、若しくは始皇帝が統一した書體(民族毎に違ふ文字だつたらしい)に我々も統一した可能性の二通り考へられる。
然しながら、大和と文化的に同系ともいはれるアイヌが字を持たぬ事から、我々は字を持つよりも古い時期に渡りきた事になるだらう。
日本人は傳來した文字を使つて、語を綴つた。「〜がコない」「〜にコいと云へ」の「コ」、「〜セず」「〜セよ」の「セ」は、上代假名遣ひでは明確に分かれてゐた。上代假名遣ひは萬葉假名を遣ひ分けた假名遣ひで、正書法が古來から意識されてゐた事を示す(違ふ音を字を變へて綴る)。
暫くはこれが徹底された(音と表記の一致)が、日本語表記は中古末期に固定される。表記と發音に大きな亂れを生じたからといはれる。ここに、平安初期を基點とした「歴史的假名遣ひ」が完成する。
我々は一度「表音主義”的”現代仮名遣い」を捨てた。歴史的假名遣ひが變革されなかつた所をみると、大きな問題はなかつたのだらう。
また、字音假名使ひは漢語音のスペルだが、「quatre-vingt-dix」がフランス語的表音ではないので、外來の言葉であつても在る程度の「歴史的假名遣ひ」要素は一般的なのだらう。ただ、字音假名使ひは漢字の字形程に徹底する必要もないだらうが、日本語に溶け込んだ樣(やう)今日(けふ)蝶(てふ)などは確り教へねばならんと思ふね。
名無し先生
ご返信が遅れましたが、詳細なるレクチュアありがたうござゐます。
まさしく民族の民族たる所以が言語にこそある、と言ふことが分かりました。
確かに数の数へ方一つとつてみても、外国語と日本語とでは全く違いますね。
さう言へば、かうして新字・新仮名でブログを綴ってゐながらナンですが、理想を言へば漢字と仮名遣いは正字・正仮名に戻したほうがいいのではないかと私は考へています。
森鴎外等と言ふ人の名前まで変へてしまふのは論外でもありますし、「私は」と書くときの「は」を「わ」と読むことに疑問を抱かぬ以上、再移行もそれほどの混乱はないのではないかと思ひます。
先年、台湾に行きましたが、現地では戦前の日本の漢字がそのまゝ残つてゐました。(所謂繁字体)
ところで先生はご自身のブログ等はお持ちではありませんか? 国学や歴史に対する知識を相当にお持ちのやうなので、もつと色々読んでみたいです。