やはり、と言うべきかなんと言うべきか。四川大地震で、颯爽と現地入りした日本が世界に誇る最精鋭レスキュー部隊は、人民解放軍から疎んじられていた。
日本の緊急援助隊は煙たい? 住民歓迎も軍は「メンツが…」
17日、日本の援助隊は青川県の被災現場で活動したが、軍の兵士の1人は「あれは日本隊だろ。早く帰れよっていう感じだ」と口走った。それ以外にも不快感を示した救助関係者もいた。
ある中国筋は「軍が仕切る現場で日本隊に生存者を発見させると思うか?」
と話す。日本の援助隊に中国側が指定した被災現場は、すでに捜索を終えたか、あるいは巨大な土砂崩れで埋まり、中国側も救助などは「無理」だと判断した小学校
だった。同筋は「軍などがいったん捜索し救助活動をすでに終えた現場で、もし日本隊が
生存者を発見したら、それこそメンツが立たない」ともいう。
(痛いニュース(ノ∀`):【中国・大地震】 「日本隊、早く帰れよ」「日本が生存者を発見したらメンツが」…日本の援助隊に、軍は不快感)
現場で邪険にされているのみならず、中共がすでに捜索して生存の望みがないところや、日本救助隊の装備に遭わない現場に回されたりと、わざと日本に生存者を見つけさせないかのような仕打ちを受けている。そもそも、生存の分水嶺である72日はとっくに過ぎているのだった。雨の中、不眠不休で遺体を掘り出し続ける隊員達に心からの敬意を表する。
3日前には、日本救助隊を迎える住民の歓呼の声が日本のニュースで大きく報じられたが、それからわずか2日でこの有様である。
「反日」消えた?ネットに「謝謝」の嵐 救援隊派遣で歴史動く
信じられない事態だ。犠牲者が5万人にのぼる恐れもある中国四川大地震で、外国として初めて日本の国際緊急援助隊が被災地入りしたが、中国のネットが「ありがとう、日本!」の書き込みであふれたのだ。
≪私は日本人が嫌いだった。かつて無数の中国人を殺した。でもそれは前の世代のこと。援助隊は人数こそ少ないが私はとても感謝したい。中日の永遠の友好関係に発展することを望む。日本の友よ、ありがとう≫。中国のニュースサイトへの書き込みだ。
(「「反日」消えた?ネットに「謝謝」の嵐 救援隊派遣で歴史動く」)
「あっさり馬脚を現しやがった」という意見も少なくないようだが、僕はこれは両方支那の実態なのではないかと思っている。
民衆は、いつだって正直だ。たとえそれが異邦人であっても、食糧をくれたり、自分とその家族を守ってくれる者に対しては感謝の念を抱く。逆に、たとえ同属でも、非道な振る舞いをすれば敵意を抱く。
日本の救助隊を歓迎する民衆と、それを快く思わず敵対する中共軍。この図式を見て、僕は南京攻城戦のことを思い出さずにはいられなかった。
南京の治安を回復
当時、支那には統一政権はなく、軍閥や馬賊が跋扈し、治安は極度に悪かった。戦乱のさなかであることもそれに輪をかけ、首都南京においても治安は最悪の状態だった。それが敵国である日本軍の入場によって治安が回復・向上したため、南京には疎開していた民衆が続々と戻ってきた。
民衆は正直なので、治安が良くて金が儲かるところには集まってくる。南京では、いたるところに市が立ち、日本兵相手に食べ物を売ったり、床屋を開いたりする光景がそこかしこで見られた。粗暴な支那兵(国民党軍)がいなくなり、民衆は日本兵をむしろ歓迎していたのだ。
城外のどこかに避難していた市民は、城内がもはや安全とみて続々と帰ってきた。その市民を誘導している写真である。ここには護衛の日本兵の姿さえ見えず、市民の表情も明るい。光華門一番乗りを果たした歩兵36連隊の西坂中さん(78)は言う。「我々の部隊は占領14日目には南京をあとにして上海に向かったが、その途中続々と南京に帰る避難民に会った。支那人はそうした情報にはすごく敏感だから逃げ足も早いが、安全とみればすぐ帰復します。」
(「平和よみがえる南京」の写真特集)
ではそんなとき、南京まで撤退しつつ日本軍と戦っていた国民党軍はどうしていたか。南京城内の市民を襲い、身ぐるみみはいで市民に化け、テロをしかけるという卑劣な行為を行なっていた。
さすがに今は戦時中ではないので、そこまで露骨な敵対行為は行なわれていないが、感謝する民衆と、常にあざむく権力と。四川の現実と南京の真実と。一国の本質はそうそう変わるものではないのかもしれない。
(櫻木)