今回、お盆と戦没者慰霊を兼ねて、ジャカルタに立ち寄った。こんな目的のためだけに空路10時間もかけてくる日本人はまずいないらしく、行く先々で珍しがられた。
インドネシアの為に戦った日本人
日本人は、大東亜戦争時、インドネシアを350年もの間植民地化していたオランダ軍を駆逐し、現地に軍政を敷いた。若者達を組織して義勇軍を作り、戦後、再びインドネシアを植民地化するために戻ってきたイギリス・オランダ軍と共に戦った日本人が2000人以上いたのである。
多くのインドネシア人は、この近代インドネシア建国の歴史を知っているため、概して親日的である。
しかし若い世代の中には、「国立英雄墓地に多くの日本人が眠っている」という事実、およびその意味をよく知らないものもいた。そのたびに僕は、「かつてインドネシアの独立のために、日本は自らが作ったPETA(祖国防衛義勇軍)と共に、オランダと戦ったのだ。そして多くの日本人が死んだ」とインドネシア語で説明するのだった。
Waktu Perang merdeka , banyak orang Jepang dan orang Indonesia bersama perjuangan pada Belanda tentara. Jadi banyak orang Jepang mati.
ワクトゥ プラン・ムルデカ、バニャッ オラン・ジュパン ダン オラン・インドネシア ブルサマ プルジュアンガン パダ ブランダ・トゥントゥラ。ジャディ バニャッ オラン・ジュパン マティ。
(皆さんもインドネシアで説明する際に使ってください)
元日本兵の墓
ここには、約2000柱の英雄の霊が眠っている。いずれも1946年以降のインドネシアの国難に殉じた戦士達の霊である。その85%はイスラム教、残りの15%がキリスト教と仏教である。日本人戦士達も多くはイスラム教に改宗し、墓碑には日本名とイスラム名が併記されている。確認できる日本人戦士は17柱祀られているが、日本名の書かれていない墓も含めると70柱にのぼるそうだ。
8月17日は、日本の玉音放送から開けて2日。スカルノによる独立宣言文が読まれた独立記念日であり、インドネシアの祝日となっている。
16日から17日に切り替わった瞬間、0時に大統領がこの英雄墓地に参るのが、インドネシアの慣例となっている。
現政権のユドヨノ大統領は、かつて小泉首相時代の安倍官房長官と靖国神社について話した際、「国のために戦った兵士のためにお参りするのは当然のことです」
という言葉を残している。
こんな日には、日本からも総理大臣なり外務大臣なり、せめて日本大使館員が来て花の一つも手向けるべきじゃないかとも思うのだが、墓地内の日本人の墓には誰が来た気配も感じられない。僕は勝手に日本人総代となって、花を手向け、神道式の祝詞を唱えた。
「掛けまくも畏き南方の英霊達の大前を拝み奉りて畏み畏みも白さく
英霊達の気高き御働きにより達せられしインドネシアの独立を称え奉り
その誇り高き戦ひをとこしえまでも語り継ぎ
日本とインドネシアの友好のため 直き正しき真心もちて
大東亜の平和と日本の独立のために尽くさしめ給へと 畏み畏みも白さく」
祖国よ
イスラム式ではなくあえて神道式にしたのには理由がある。
日本人戦士達は、ほとんどイスラム教に帰依し、墓碑にもイスラム名が併記されている。それでは彼らは日本人であることを辞めてしまったのだろうか。
否である。僕は今回その証拠を発見したのだ。
この戦士の墓は、一昨年に来たときには何ともなかったが、今は上部が大きく欠けている。この墓の上には果樹が生い茂っており、大きく熟した果実が落ちてきたときに、直撃して破損してしまったのだという。
「これは何とか修復してほしいものだ…」そう思いながら破損部分の裏側を覗き込んだとき、その文字が目に飛び込んできた。
祖、の字。
「祖国に弥栄あれ」か「祖国の弥栄を祈る」か、恐らく彼は、死に際し辞世として墓碑に掘り込むことを希望したのではなかろうか。しかも、決して人目に触れない裏側に。
日本に生まれ、日本に育ち、戦争のために遥か遠くの国に行った彼らが、日本に戻りたくなかったわけがない。それでも彼らは、「東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦」の為に残って戦い、祖国に思いをはせながら死んでいったのだ。
果たして今の日本は、彼ら英霊達が命がけで護り、想いを捧げた国として恥ずかしくない日本だろうか。
本来なら誰にも見られることのなかったはずの文字が、ちょうど僕が参拝したときに丁度見えていたことに、なにか不思議なめぐりあわせを感じた。
個人が国家の為にできることは決して多くはないが、自分はせめて、彼らに恥じぬ生き方をしたい。インドネシア独立記念日に、僕はそう心に誓ったのだった。
(櫻木)
感動しました!
ご苦労様でした。
きっと、貴方に知らせたかったのとお礼がいいたかったのですよ
「祖国から、よく来た。有り難う」とね
不思議なめぐりあわせは必ずあります。貴方に栄光あれ!!
嗚呼! 素晴しい祝詞を 有り難うございました。 敬礼!
>
ありがとうございます!
>真心さん
ありがとうございます。そういうことなのかもしれませんね。不思議なことはあるものです。英霊のメッセージ、しかと受け取りました。
>
英霊の御霊に敬礼!
今年いちばん時間と金と労力のかかったエントリ。
たいぶ前の話ですが、残留日本人会のジャカルタ事務所へふらっと立ち寄ったことがある。
当時は宮原さん・藤山さんがジャカルタに住んでいた。 もちろん一面識もなく約束もなかった。
事務所には二世か三世の子達(たぶん)が何人かいた。 一人の子が気を利かせてくれて
宮原さんへ電話してくれた、私は大変に弱ってしまった、何を話したらよいのやら・・・
受話器から明朗で元気のよい日本語が響いてくる。
私「お元気そうですね」 宮原さん「いゃーもう死にぞこないですから」
宮原さんは大日本帝国の台湾出身、時代の運命に翻弄された苦労人だ。 その人生は生半可なものではなかったろう。 私は涙がとまらずにそれ以上は何も話せなかった。
突然やってきて電話で沈黙する日本人、宮原さんはさぞかし不思議に思ったでしょう。
いま色々な出版物がでていますが、多くの著書は残留日本人の話を作家さんが色付けしたものです。
残留した日本人の話を集めた本が日系人協会から出ています、機会があればご一読ください。
良いお話をありがとうございます。
宮原さんも、きっとわざわざ日本から訪ねてきてくれたあなたの日本語を懐かしく思ってくださったことと思います。
書籍だけでなく、当時の人々の生の声を聞くべく、また近いうちにインドネシアにも行こうと思っています。
ご本人の話を集めた本は興味がありますね。ご紹介ありがとうございます。
こちらですね。
日系団体等の出版物
(参考)
「独立英雄」元日本兵 : ズームアップ・ウィークリー : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
のびぃ太のおしゃべり広場:インドネシア独立戦争参加 残留日本兵1000人の声 出版 – livedoor Blog(ブログ)
そうです、それです。 朱雀さん、そしてまだ若い方々。あなた方が頼りです。
私も色々調べたり、インドネシアへ行ったりした。 日本軍の評価はかんばしくない、だが卑屈になって謝罪しつづけてるのはオカシイ。 勝てば官軍で日本が勝っていれば、評価はまた違ったものになっていたでしょう。 だが敗戦後もインドネシアを助けた、これまでが虚偽や誇張とみなされるのは歴史の修正になってしまう。 日本人の勇気と勇敢さは、決してどこの国の人間にも負けるものではないと知ってほしいのです。
参考までに
タシクマラヤ英雄墓地に眠る(青木氏・長谷川氏・梁氏)
ボゴール英雄墓地に眠る(氏名不詳)
スラバヤ英雄墓地に眠る(谷本氏・荒川氏)
テビチンギ英雄墓地に眠る(篠崎氏)
チレボン英雄墓地に眠る(海和氏)
PEMATANG SIATAR英雄墓地に眠る(新見氏)
スマトラ島はほとんど判明しないがマラン英雄墓地には多数の日本人が眠っている。
ジャカルタ以外にも各地に英雄墓地があるのですよね。
機会があればそちらにも行ってみたく思います。
これからの世代が歴史を喪失した亡国の民にならないよう、今を生きる我々が、先人達の歴史を正しく語り継がなければならない。そう思っています。
涙が溢れてきました。。。 本当に 心が熱くなりました
戦後の日本の 戦争アレルギーかのように全否定し
兵士=侵略者 と教えられた日本人は、
現在 中韓に「鬼畜」などと言われ続けている日本は 昔
ものすごい悪い国だったんだ。。。と漠然と思っている人が多いと思います
私自信も 保守派の政治家のお考えや
南京大虐殺などというものは無かったんだと
いう お考えを聞くと 安心し 支持したいという気持ちと同時に
でも もしかしたら 全くなかったという事ではないのかもしれない。。。
日本に都合よくとらえているだけだとしたら・・・?等
考えたりする事も いまだにあります
日本のため、そして アジアの植民地支配からの解放を目的とし
戦った英霊を尊敬し 感謝の気持ちでいっぱいになると同時に
私の意見は 戦争美化だ。。。と言われると
そうなのかな。。。と不安になる。。。
思想がみな違うように 歴史もみんなとらえ方によって違うのでしょうか?
真実は一つだと思っていたのですが 違うのでしょうか。。。
日本人自身が 昔戦争をした日本は悪い国で 今の日本は良い国だと考える
(そう教えられた)そう考える日本人が多いと感じます
実は 朱雀さまのサイトを知ったのが最近ですので
これから さかのぼって読ませていただこうと思ってます♪
朱雀さま これからも応援します!
これからも勉強させてください。
事実はひとつです。しかし国際社会においては「嘘も百回言えば真実になる」もまた一面の真理でもあります。
日本と、日本のために戦った人々の名誉を守るためにも、歴史の真実を探求し、語り継がねばならないと考えています。
今後とも応援よろしくお願いいたします。
インドネシアには元々オランダ人に取り入った華僑が地元民をこき使って大きな利益を上げていた歴史がある。
その折角の儲けの構図を破壊した日本には巨大な恨みがあるだろう。
故に華僑は反日に走る。
これから見ても判るが、結局厨獄塵は利の為には何でも平気でやるゴミ民族であると言う事だ。
人種開放戦争という正確もあったあの大戦において、有色人種の中で唯一、白人の側についていたのが支那です。
おっしゃるとおり。マレー半島でも、華僑の権益をおかす日本人は、かなりの妨害を受けました
目先の利益を最優先にする支那人には、今後も決して気を許すことなく、一定の距離を置いて付き合っていくべき、厄介な隣人と考えるべきですね。
インドネシア英雄墓地に行ってきた | 朱雀式 http://t.co/1rEMZJGV @suzakushikiさんから
「確認できる日本人戦士は17柱祀られているが、日本名の書かれていない墓も含めると70柱にのぼるそうだ。」
「確認できる日本人戦士は17柱祀られているが、日本名の書かれていない墓も含めると70柱にのぼるそうだ。」 / “インドネシア英雄墓地に行ってきた – 朱雀式” http://t.co/b69k8RgU
とてもありがたい気持ちで拝見いたしました。私の叔父が英雄墓地に眠っていますので、いつかは行きたいと思っています。8月17日には、遠い土地で命を絶った故人を偲び、静かに祈ります。また、当時の資料などを読み、更に知識を深めていきたいです。
叔父さんのお名前や元所属部隊、出身地は? 当方はかなり資料を持っています。
何か分かるかもしれません。
[...] Photo by 朱雀式ニュース [...]
ジャカルタの親族を訪ねた際に、お願いして連れていってもらいました。
正門の右手にあるセキュリティ(受付?)で名前と住所ともう一つ(恐らくどのお墓にお参りするか)を記入。献花用の花が受付奥側の道を右手に行ったところで、購入できるとのことで、購入してから入場
幸いセキュリティの方が案内してくれたため、迷わず行くことができました。
そして、日本名が確認できる墓前に献花、参拝。
流石に遠い異国の地ということもあり、手入れはされているもののお参りの形跡はあまり感じることが出来ませんでした。ジャカルタ中心部からそれほど遠い距離ではないので、ジャカルタに来る機会のある方は是非一度行ってみてほしいと思います。
ただ、観光地ではなく、国家独立の英霊を讃える神聖な場所ですので、服装のマナーは守ってください。あまりひどいとセキュリティで入場拒否されるかもしれません。(短パン、サンダル、女性の肌の露出等)