時事問題

63年前の8月5日、広島に原子爆弾が投下されました。これはアメリカによる明確な戦争犯罪です。

戦争は犯罪ではありませんが、戦争犯罪というものは規定されています。戦争における戦闘行為とは全く別の、例えば民間人の殺傷、捕虜の虐待のような行為を指します。

「人道に対する罪」を犯したのは誰か?

その中でも特に、「国家もしくは集団によって一般の国民に対してなされた謀殺、絶滅を目的とした大量殺人、奴隷化、追放その他の非人道的行為」に対して、「人道に対する罪」という概念が適用されます。

第二次世界大戦時、ヨーロッパ戦線において、ドイツは確かにユダヤ人の民族浄化という恐ろしい行為を国家的規模で計画実行しました。
しかし、大東亜~太平洋においてそれを行なったのは誰だったか。言うまでもなく、それは南京残酷物語ではなく、アメリカによる原爆投下です。

当時、日本は敗戦を予期し、ソ連にアメリカとの仲介を依頼し、和平を画策していました。このとき、日本の要望は「国体の護持」のみだったのですが、アメリカは日本に降伏をさせないために、日本の降伏を引き延ばしました。

発明してしまった原子爆弾という巨大兵器の、「実戦」での効果を日本人で実験するためと、ソ連に脅威を与えるため、という、利己的かつ人種差別的な動機による者でした。

「実戦」とは言いながら、広島、長崎の市街地は戦場ではありません。イラクにおける「民間人の誤爆」どころの騒ぎではなく、明確な意図を持って、十数万人の民間人を大量虐殺したアメリカの行為こそ、ナチスのホロコーストと並ぶ「人道に対する罪」です。

私はアメリカがこの罪を認めて謝罪するまで反米主義者です。日本人としては、これを許すべきではありませんし、事実上アメリカの核の傘に守られている現状に対して、忸怩たる思いを抱いていてしかるべきでしょう。
本日は広島原爆忌。犠牲者に対して心より追悼の意を表すると共に、いつか必ず仇を取ることを誓うものであります。

核放棄勧告宣言

「あやまちはくりかえしません」等という内向きの世迷い言では、世界から核兵器を廃絶することなど出来るわけがありません。

私のやっている武道の世界で、攻撃側と防御側が武器を取り替えることがあります。その礼法では、両方が同時に武器から手を離せるように工夫されています。
チンピラ同士のケンカで刃物を収めるときにも、互いに地面に置いた刃物を足で踏んで押さえて離れる、などの作法があります。

丸腰で武装蜂起を訴えても、それを聞くような相手ばかりではありません。日本は結局、アメリカはおろかロシア、支那中共、はては北朝鮮にまで核兵器に囲まれ脅されていますが、彼らのような野盗・馬賊国家が日本の訴えに耳を貸すとも思えません。

周辺諸国に対して本当に核廃絶を訴えるなら、日本もまず核武装をしてから「同時に廃棄しよう」と交渉するしかないのではないでしょうか。「核放棄勧告宣言」です。

すると最初から全放棄している「非核宣言」などは愚の骨頂で、少なくとも「いつでも3日以内核武装に踏み切る用意がある」くらいの「核用意宣言」くらいはしてみてもいいのではないかと思います。

(櫻木)