時事問題

総選挙後の麻生総理の去就が注目されているが、とくにマスメディアの批判の目は、まずは記者会見での動向に向けられた。
しかし、この「整理できた?」には……。

冒頭、記者の「衆院選、お疲れさまでした」との声かけに無言で一礼したものの、民主党との政権移行協議への対応を問われると「官房長官が言わなかった? あ、ウラ取ってるわけね。普段取らずに書いてるけど」とチクリ。

16日召集予定の特別国会での首相指名選挙で首相名を書くことへの不満が自民党内に出ていることには「内閣総理大臣に対しての質問だけにしてください」。記者が「これまでも答えている」と食い下がると「それは努力しただけ。幹事長に一任してあると言ってあるんだから、あなたが聞くべき相手は執行部!」と応じなかった。秘書官が終了を告げた後も記者を指さし「頭の整理できた? 整理ができた?」と怒りを抑えられずにいた。
麻生首相、記者団に八つ当たり? – MSN産経ニュース

総理に苦言

私なんぞは、麻生総理が新聞記者に「おい、聞いてんだよ。答えろよ(笑)」とか言ってるのを聞くと楽しくなってしまうものだが、よく考えてみるとこれは、私が朝日新聞や新聞記者全般に不信感を持っている人間だからこそ楽しいわけで、国民の大多数はそうではない。(国民がそうではないから朝日新聞的なるものが未だに大きな顔をしているのか、朝日新聞的な報道によって国民がそうなったのか…?)

特に、テレビ映りが問題だ。麻生総理が不機嫌な顔をして記者をべらんめぇ口調で攻撃しているとき、視聴者はTVという窓を通して麻生総理を見ている。つまり、国民は自分たちが罵倒、揶揄されているように感じてしまう

これは、特に視聴者側に問題があるわけではなく、テレビというものが基本的にそういう特質を備えているからであり、近年の劇場型政治が政局ドキュメンタリ、あるいはバラエティ番組化してしまっている以上、避けられない現象である。

そもそも、もともと敵視しているからと言って、朝日系の記者を攻撃すれば、防衛反応によって相手からもより敵視されるのも当然ではある。総理も人の子なら、記者もまた人の子なのだ。

政権は報道から生まれる

メディアの方がいっせいに麻生首相を敵視し、集中攻撃をしたからこうなったのだ、と言われるかもしれない。確かにそれはそうだ。政権の功績をろくに報ぜず、バーだの漢字だの、くだらない揚げ足取りばかりしているTV報道は本当に非道かった。しかし、それはそれとして、ならばなおさらメディアを味方につけなくてはいけなかった。

かつて「政権は銃口から生まれる」といったのは、シナの毛沢東だったが、現代日本では、政権はTV報道から生まれる。TVに代表されるメディアの論調を味方に付ければ、政権を簒奪することができるということは、今回の総選挙が証明してくれた。

麻生総理も、故・竹下元総理や同じく小渕元総理のように、記者にニコニコ接したりしなくてもいいが、不機嫌でない自分の顔、報道されない麻生政権の実績をもっとアピールできる場所を確保するべきだっただろう。

と言っても、特定外国人や反体制・学生運動崩れに牛耳られている現在のTVメディア界ではそれも難しい。次に自民党が政権を握る機会があったら、中共の手先の反日放送局と化した、公共放送とは名ばかりの情報工作機関・NHKを国家権力の名において接収、レッドパージして、まともな国営放送として政府公報の放送局として利用するといいだろう。

(櫻木)