もうやめにしたい「聖火」という表現
長野で、聖火リレーが混乱の中執り行われた。この顛末については改めて書くとして、「聖火リレー」という表現について改めて苦言を呈したい。
ニュースでアナウンサーが「聖火」「聖火」と連呼するたびにもぞもぞして具合の悪い思いをする。
そもそもこの「聖火」、国際的には「英:Olympic Flame」「仏:Flamme olympique」であり、単なる「オリンピックの炎」である。そしてリレーで走者が持っているのは「torch」。これはまさにただの「たいまつ」の意味でしかない。
世紀の誤訳「聖火」
そんなものに対して、何故か日本だけがうやうやしく「聖火」などと呼んでありがたがっているのである。
古代ギリシャで火が神聖なものとして、神殿で灯されていたのは確かだが、それとオリンピックでの演出のたいまつとは直接の関係はない。
そもそもこの「聖火リレー」自体が、ナチスのベルリンオリンピックで考案された政治ショーに他ならず、何らの聖性を持ったものではない。(この辺りの経緯に関しては「聖火」リレーが「平和の象徴」という幻想に詳しく書いた。)
たいまつ、灯火リレー
北京語でさえ「火炬」だ。これもやはり単なる「たいまつ」という意味である。
国連主義のような、日本人の外国の権威に弱い性格が表れているのかもしれない。日頃日本人の特質や、日本オリジナルの概念の保持を主張している朱雀式ではあるが、こんな卑屈なオリジナルはいらない。
これからは「聖火リレー」ではなく「たいまつリレー」あるいは「灯火リレー」と呼ぶことにしたい。
マスコミ各社にも強く求めていきたい。
異常な世界一周リレー
しかも今回の「聖火」は、ナチスオリンピックと並ぶ、軍事独裁国家・中共が開催するオリンピックの、示威イベントである。
そもそも、ベルリン以来の「聖火リレー」は、ギリシャから開催地に入って終わるリレーだ。当然のことながら。
しかし前回アテネ大会で、リレーするほどの距離が無くて寂しいために、「じゃあ開催地に戻ってきたオリンピックを記念して、五大陸を回ろう」という平和的なイベントとして世界をまわることにした、例外的な措置だった。
ところが今回、中共が「我々もやりたい!」と熱望し、あろうことかICOがこれを認めてしまった。
かくて今世紀最大の邪悪な炎、チベットを燃やす侵略の炎が、中華覇権主義の象徴として世界中を駆け巡ることになったのだった。
国際社会は、これまで色々な誤解や思惑の元に、中共を擁護し、わがままを聞き入れ、甘やかしすぎた。
これからは、あの前時代の亡霊のような軍国主義国家と、どのようにすれば真に「平和的に」付き合っていけるか、それぞれの国が、それぞれの国民が注意深く考えていく必要があるだろう。
(櫻木)
“古代ギリシャで火が神聖なものとして、神殿で灯されていたが、それとオリンピックでの演出とは直接の関係はない。 リレー自体、ナチスのベルリンオリンピックで考案されたショーに他ならず、何ら聖性はない。”