時事問題

副題:戦争が理解できなくなった日本人

「地震の時は水をためる」という防災知識がある。これについて、正しいvs間違っているという立場で激論が戦わされた。それはいい。それぞれの言い分も分かるし、後の人の方が正論を言っている部分もあるのだろうとは思う。
しかし、これはいただけない。

一軒屋の場合でもすぐ近くの水道管が切れない限り少しは出ると思います。でなければ近くの公園とかに出かけていって公共の水道から出来るだけ多く水をもらっておくことです。
そんなの利己主義だと思う方。地震後の辛さを知らないからそんなこと言えるんです。地震は戦争。まず自分の分を確保してから分けてあげればいいのです。確保してから「水あります」と貼紙した家がありました。正しい態度です。
地震が起こったら、まずこれをしろ!

全然正しくねえよ.

戦争だったら,私がお前を殺しても罪に問われないけど,それでもいいの?死ぬならあんた一人で死ね.私は多少不便でもみんなと生き残る道を選ぶ.それが結局は自分が生き残れる可能性を最大化できるのだ.*7
「地震の時は水をためろ」はウソ – カレーなる辛口Javaな転職日記

あんたも全然正しくねえよ。罪に問われるに決まっているだろうが。

こういう発言をすると実に頭が悪く見えるから気をつけた方がいい。
といっても、何がおかしいのか、ピンと来ない人もいるかも知れない。

二人とも「地震は戦争」「戦争だったら私がお前を殺しても罪に問われない」とか好き勝手なことを言っているが、戦争は戦争。地震は地震。全くの別物。ひょっとしてこの人は、「戦争になったら誰を殺してもいい」と思っているのだろうか。
「誰を殺しても許される」のは無政府状態であって、戦争ではない。戦争時でも、「戦闘員が敵兵を殺す」という戦闘行為以外は厳しく罰せられる。
昔、小林よしのり『ゴーマニズム宣言』で、元自衛官の会社員が同僚に「○○さんは、戦争になったら誰を殺しますか?」と聞かれて唖然とした、というエピソードが紹介されていたが、あれも実話だったのだろうか。

戦争を知らない僕たち

昔、僕らが生まれてくるずっとずっと前に「戦争を知らない子供たち」という歌があった。(つまり僕らは戦争を知らない子供達を知らない子供達である。)
だから無論、僕も戦争を知らない世代である。しかし、想像することは出来る。情報や歴史を材料として、戦争を観念として捉え、知識として理解することは出来る。

前述の子供達は、おそらく日教組系の教育で「戦争は人殺しです」というような論調でしか習わなかったのだろう。世界史のある時期、突然日本が発狂して米英に戦争を仕掛け、アジアを侵略して人殺しをした、と。いや、最近では日米が戦争していたことすら知らない「ゆとり」世代もいる[要出典]と聞くから、やはり単純に「戦争になったら人を殺しても罪に問われない」と思っているのだろう。

そういう薄っぺらな偽善的教育で育った薄っぺらい日本人が、同級生をナイフで刺したり、アジアの皆さんごめんなさいといって巨額の金をだまし取られたりするのだろう。30年後は今の友愛脱税政権よりもっと非道い状況になっているかもしれない。

余談だが、もし今本当の戦争が起こって、しかもゆとり世代が徴兵されて戦争に行くような日があれば、その時はベルリンにおけるソ連兵やベトナムにおける韓国軍のように、現地住民の大虐殺をやってしまうかも知れない。いや、まさかとは思うが、一抹の不安がぬぐいきれない。同じ日本人だからと言って、今の世代にかつての皇軍兵士のような規律の正しさや強さは全く期待できない。教育は国家の根本をなすものである。戦後60年の毒が、今や社会の隅々にまで回ってしまっている。

(櫻木)