歴史と日本

1937年(昭和12年)7月29日、支那大陸通州において支那人による日本人の大量虐殺事件が発生しました。
これが世に言う「通州事件」で、この事件が後の日支間情勢に与えた影響ははかり知れません。

事件は、当時の支那にあった親日勢力「冀東防共自治政府」の保安隊3000人が、警備が100名ほどと手薄になっていた日本人居留区を急襲し、地域住民約230名を、およそ人の所行とは思えないほど陰惨なやり方で虐殺した事件です。保安隊は、100名の日本人の守備隊を全滅させた後、通州の城門を閉め、外へ逃げられないようにして、ゆっくりと一般市民の虐殺を行ないました。


東京裁判でもこの事件は扱われましたが、連合国(China)側に不利になるため、これらの証言は採用されませんでしたが、記録として今に残っています。

当時第二連隊長萱嶋中将。
「私の目撃したものはあまりに残酷であり、一生忘れることのできない印象となっている。旭軒とかいう飲食店では、四十から十七、歳までの女七、八人がみな強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺されていた。そのうち四、五名は陰部を銃剣で突き刺されていた。
 錦水楼という旅館はもっとも悲惨で、そこは危急を感じた在通州の日本人が集まった様子で大量虐殺を受けていた」
 
 元陸軍少佐、桜井文雄氏(千葉市)。
 「守備隊の東門を出ると、数間ごとに居留民男女の遺体が横たわっていた。某飲食店では一家全部首と両手を切断され、十四、五歳以上の婦女は強姦されていた。旭軒では女が全部裸体にされ強姦射殺され、陰部にほうきを押し込んである者、腹部をたてにたち割ってある者など見るにたえなかった。
 東門の近くの池では首を電線で縛り、両手に電線を通し、一家六人数珠つなぎにした死体が浮かんでおり、池の水は真っ赤になっていた。夜半まで生存者の収容にあたり『日本人はいないか』と叫んで各戸ごとに調査すると、鼻に牛のように針金を通された子供、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦などがチリ箱の中や塀の陰から出てきた」
「集団自決」は「南京大虐殺」の結果だって? 「チビチリガマの集団自決」 – 狼魔人日記

通州救援の第2連隊歩兵隊長代理を務めた桂鎮雄証人の供述
 「近水楼入口で女将らしき人の死体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞紙がかけてあった。本人は相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥(は)がされたらしく、上半身も下半身も暴露し、4つ5つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。陰部は刃物でえぐられたらしく、血痕が散乱していた。帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、略奪の跡をまざまざと示していた。女中部屋に女中らしき日本婦人の4つの死体があり、全部もがいて死んだようだった。折り重なって死んでいたが、1名だけは局部を露出し上向きになっていた。帳場配膳室では男1人、女2人が横倒れ、或(ある)いはうつ伏し或いは上向いて死んでおり、闘った跡は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のようだった。女2人はいずれも背部から銃剣を突き刺されていた。階下座敷に女の死体2つ、素っ裸で殺され、局部はじめ各部分に刺突の跡を見た。1年前に行ったことのあるカフェーでは、縄で絞殺された素っ裸の死体があった。その裏の日本人の家では親子2人が惨殺されていた。子供は手の指を揃(そろ)えて切断されていた。南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の死体が路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた」
惨!通州事件

いかがでしょうか。
このむごたらしい惨劇は、戦闘行為ではなく、民間人に対して行なわれた虐殺です。

表面的には味方だと思っていた保安隊に襲われたわけですし、3000名に対して日本の守備隊は100名ですから、ひとたまりもありませんでした。
しかも、無抵抗の市民を殺害するのみならず、殺害そのものを楽しんでいるかのようなこの蛮行。虐殺。こういった残虐行為は、日本人の価値観では全く理解できませんが、支那大陸文化では当たり前の話でした。
のちに、「南京大虐殺」の証言者達が、「いくらなんでもそんな残虐なことを日本人がするだろうか?」と思われるような残虐行為をスラスラと語ったのは、そういうことだったのですね。

こうして盧溝橋事件に続き、この事件で日本の世論は沸騰、中共政府の思惑通り、日本は「日中全面戦争」の泥沼の中にひきずり込まれていったのでした。
また、盧溝橋事件同様、この事件も支那側の謀略により、ずっとまえから企図されていたものだったことが、中国側から見つかった資料で明らかになっています。

これを、大陸中国では、「抗日戦争の義挙」として教科書に載せ、児童に教えています。
日本の教科書には、この事件のこと自体が1行も載っていません。

今や経済的、人的に日支の結びつきは日に日に強くなっていくような感がありますが、本質的には全く違う価値観を持った「民族」であることを理解した上で、うまく距離を取ってつきあっていくしかないのではないかと思います。無論、外国人参政権などもってのほかです。

最後に、73年前、通州で筆舌に尽くしがたい苦しみを味わった被害者の冥福をお祈りいたします。

(櫻木)