今年も、この日がやってきた。66年目の「敗戦の日」。桜木家では、建国記念の日を「紀元節」と言うのと同じように、終戦の日は「敗戦の日」と言い換えている。そのほうが本質に近いからだ。
今年は、戦後日本をおそった未曾有の大災害、「東日本大震災」の年だったこともあって、メディアではこの2つを結びつけた論調が目立っていた。NHKでも、大空襲の犠牲者を追悼する灯籠流しの参加者が、「被災地の復興を願って」と語っていたり、ある女子アナウンサーが「今年の終戦の日は普段と違った思いがします」と言ってみたり。
はては、半藤一利氏のインタビューでは、「あの戦争と今回の大震災が重なって見える」などと話し合ったりしていた。曰く、瓦礫の山になった被災地が、かつて日本の街並みが焦土と化した「あの戦争」のように見える、というのだ。
戦争と災害被害を同一視する愚
こうした発言、物の見方には、戦後の日本が抱えている問題が表面化していると言っていいだろう。
戦争と大震災は、全くの別物である。半藤一利氏も、「自らの戦争体験から」等と言っているが、現在81歳の彼は、従軍経験はない。空襲を受けた経験があるが、それはイコール戦争ではなく、戦争の中の一部の体験、「被災」である。
つまり、戦災と震災には現象として類似点はあるが、それを「復興」という文脈で混同して語ることは慎まなくてはならない。
戦争には、相手がいる。震災は天災であり、相手がいない。
あの戦争の相手はアメリカであり、東京大空襲、広島・長崎への原爆投下など、国際法も人道も全く無視した、一般国民大虐殺の戦争犯罪である。
「戦災と被災はそっくりだ」等と言っているのは、この視点をすっかり忘れてしまっている。まるで、70年前も運悪く災害に巻き込まれたかのような諦観の視線である。
同じように、「終戦記念日」という言い方も、同様の欺瞞をはらんでいる。「終戦」という言葉からは、勝ったのか負けたのかが分からない。ただ何となく、戦争が終わった…。そんな当事者性を書いた言葉を使っている限りは、日本に真の「脱・戦後」は来ない。
日本は無条件降伏をしたのではないが、敗戦した
日本は、やむにやまれぬ事情のため、アメリカの奸計に乗せられ開戦し、大東亜戦争を戦うも、刀尽き矢折れ、条件降伏によって敗戦を迎えたが、結果として欧米植民地支配の時代を終結させた。
(ポツダム宣言は、日本軍の無条件武装解除と、日本国の降伏条件に関する条項)
これが「当事者」たる日本人として、最低限共有しておきたい認識である。
特に大事なところなので、もう一度書こう。
「太平洋戦争を戦い、日本は無条件降伏し、終戦を迎えた」
のではない。
「大東亜戦争を戦い、日本は条件降伏をし、敗戦を迎えた」
のである。
言い換えで本質を曖昧にするのはやめよう
敗戦の日を「終戦」と言い換えて自体の本質を曖昧にし、国軍を「自衛隊」と言い換え、占領基本法を「日本国憲法」のまがい物として使い続けてはや66年。ごまかしの上に成り立っている安定は、かくももろく崩れ去ることを、私たちは今回、福島の事故で思い知った。もう、その場しのぎでやっていける時代ではなくなっているのだ。
戦勝国が、彼占領国に恒久法を指定することは、国際法でも禁じられた蛮行である。ほんらい、「日本国憲法」というまがいものは、主権回復(サンフランシスコ講和条約)のときに廃棄しておくべきだった。それをその場しのぎで先送りし続けてきたのが、今の日本の姿である。そろそろ、占領基本法ともいうべきまがい物の憲法は無効として、私たちの憲法を取り戻す必要がある。そこから、日本の真の復興が始まる。
(櫻木)
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通りすがりの者です。
どの記事も大変興味深く拝見し勉強になりました。
このたびの「大東亜戦争を戦い、日本は条件降伏をした」という箇所に大きく賛同致しました。
しかし生意気ながら、私個人としては、敗戦という言葉には少しだけ残念な気が致します。
といいますのも最近メディアがこっそり敗戦という言葉を使い始めたことに憤慨しておりました。
もちろん、櫻木様がお考えで使われる敗戦と、マスコミが使う敗戦はまったく意味合いが違っていることは存じ上げております。
いかにもマスコミは「日本がけしかけた戦争だしアジアに迷惑をかけ好き放題した結果の敗戦国だから、9条は絶対死守!永遠に日本は土下座しつづけろ」という意図がちらちら見えます。
歴史の事実を隠蔽したり歪曲し、なぜこの戦いが起きなぜ敗戦となったのかはっきり教えずにきた今の日本は、仰る通りこの曖昧さを続けてきたせいですっかり骨抜きにされてきました。
敗戦後の当時の記録や映像を観る限りでは、不条理な戦いだったのにも係わらず負けた者は言い訳しないと潔い武士道を感じます。
(そんな日本に戦勝国と呼ばれる国は情け容赦ありませんでしたが)
日本は降伏せざるをえませんでしたが、本当の意味での戦争には勝ったはずです。
亜細亜解放のために長い戦いを終わらせたのは日本です。
私達は英霊の方々へのせめてもの敬意の言葉として、終戦という使い方は間違いではないのではないかと思うのです。
自分なりの解釈と浅はかな知識ゆえ、それはやっぱり間違っているとおっしゃられれば返す言葉はないのですが、こうした意味が込められているように感じます。
意見しましたこと、大変失礼致しました。
新しい記事も楽しみにしております。