時事問題

先日の朝日新聞で、こんなタイトルの記事が載っていた。『麻生首相、「大東亜戦争」と表現 戦争観問われ』
いかにもアサヒらしい記事である。「大東亜戦争がどうこうなどという発言をした麻生首相の戦争観が問われる」という印象操作を誘っているようだが、実際の発言を見てみると…。

麻生首相は30日、首相官邸で記者団から過去の戦争観を問われ、「日清、日露(戦争)と、いわゆる大東亜戦争、第2次世界大戦とは少し種類が違うと思う」と語った。首相は「明治憲法以来約120年。時代を振り返って、日本の歴史として誇れる歴史もあれば、誇れない歴史もある」との考えを示した。

 「大東亜戦争」は当時の政府が決めた正式呼称だが、戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が公文書での使用を禁止。教科書では「太平洋戦争」「第2次世界大戦」の呼び名が一般的になっている。

 河村官房長官は30日の記者会見で「首相は吉田茂元総理の薫陶を子どものころから受けており、教育勅語をそらんじることができる我々同じ世代の唯一の国会議員だ。第2次世界大戦を当時の大人たちが大東亜戦争と表現していた。そういうことかなと思う」と語った。
asahi.com:麻生首相、「大東亜戦争」と表現 戦争観問われ – 政治

「戦争観」なんていうものを、どこの記者がどういう意図・表現で聞いたのかは分からないが、麻生首相は、「日本の歴史として誇れる歴史もあれば、誇れない歴史もある」等といわゆるバランス感覚のある意見を述べている。

つまりアサヒが問題にしている(しようとしている)のは、『大東亜戦争』という呼称自体なのだ。常習的放火犯のアサヒはまたぞろ火のないところに煙を立てようとしているようだが、もう誰もその手にはのらない。

これについては、アサヒが書いているとおり、戦後にGHQによってこの言葉が徹底的に禁止された経緯がある。

しかし、この話には実は続きがあるのだ。2007年の国会において、
「太平洋戦争という呼称は政府として用いていない」
とする政府の公式見解が発表されている。つまり、今でも日本国によるあの戦争の正式名称は、「大東亜戦争」と解釈していいいうことになる。

《政府は6日の閣議で、先の大戦に関する「太平洋戦争」という呼称について「政府として定義して用いている用語ではない」とする答弁書を決定した。一方で、「大東亜戦争」に関しては、昭和16年12月12日に閣議決定された呼称だと指摘。大東亜戦争と太平洋戦争とが同じものかは「答えることは困難」とした。連合国軍総司令部(GHQ)は占領期、大東亜戦争の呼称使用を禁止し、厳しく検閲して太平洋戦争を定着させている。
 また、16年12月8日の日米開戦時に、日本側からの最後通告の手渡しが遅れた問題について「当時の外務省の事務処理上の不手際により遅延が生じた。国家の重大な局面において、遺憾な事態を招いた」とする答弁書も決定した。ともに、鈴木宗男衆院議員の質問主意書に対する回答。》
ボツ原稿・太平洋戦争に関する政府答弁書:イザ!

そもそも「太平洋戦争」というのは、アメリカの戦った戦争であって、日本の戦争ではない。インドネシアやインド、支那のどこに太平洋があるのだろうか。(ただし、日支事変を含めたくない帝国海軍は太平洋戦争という呼称を使っていたとも。)

「大東亜戦争」というのは、その意味と大義名分(大東亜共栄圏のための戦い)、場所(インドネシアや支那を含めた東アジア全域)を正確に表現する名称なのだ。

ところが、戦後に日本を占領したアメリカ(GHQ)は、「大東亜共栄圏」という世界の白人秩序を脅かすコンセプトと、建国以来最強の敵だった日本という国家を心底恐れ、徹底的に破壊することにした。その第一歩が「神道指令」で、これは「国家神道およびそれに基づく極端な軍国主義を抹消する」ための指令で、「大東亜戦争」という用語もこのときに禁止された。
そして『真相はこうだ』というラジオ番組でアメリカによる「太平洋戦争の真実」が放送され、日本は現在に至るまでの思想洗脳(WGIP)を受けることになった。

しかし、先の政府答弁にあるとおり、日本政府が「太平洋戦争」という用語を定義したわけではない。そして、この『神道指令』は、アメリカの占領が終わると同時に失効している。
今、日本が「大東亜戦争」の名称を使うことに、なんら遠慮をする必要はない。

産経の阿比留記者と同様、僕もミラン・クンデラという作家の次の言葉を引用したい。

 「一国の人々を抹殺するための最初の段階は、その記憶を失わせることである。その国民の図書、その文化、その歴史を消し去った上で、誰かに新しい本を書かせ、新しい文化をつくらせて新しい歴史を発明させることだ」

良きにつけ悪しきにつけ、先の大戦は日本という国家と民族が2600年の歴史の中で体験した最も大きな事件であり、民族的叙事詩でもある。

日本人が「大東亜戦争」という用語を普通に使い、その意味と正面から向き合えるようになったときこそ、「戦後の終わり」と言えるのではないか。

そしてもう一つ忘れてはならないことがある。1907年のハーグ条約では、占領軍が占領地の政府に恒久的な変更を加えることを一切禁じている。
つまりGHQが作成した「日本国憲法」も、日本の主権回復と同時に無効になっているはずなのだ。
だから本来ならば「大日本帝国憲法は未だ生きている」という指摘にも正当性があるし、現行憲法は「改憲」ではなく「破棄」して作り直す必要があるのだった。

参考情報;
Amazon.co.jp: 閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫): 江藤 淳: 本
この問題に興味のある人はこちらの本が必読。

「大東亜戦争」という表現はいつから「失言」になったのか? – 国家鮟鱇
また、こちらで実は「大東亜戦争」という言葉が戦後40年経ってから再度封印された経緯が明らかにされている。

私たちの先人は大東亜戦争を戦ったのです

(櫻木)