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「だって、アレって本当に過失なんでしょう?」
「処分、厳しすぎだよね」

あのとき彼らに、どうしてもっとしっかりヌル山のことを話してやれなかったか、今さらの様に悔やむ。せめてこの事件が風化しないよう、より広範囲の人に話が伝わるよう、ここで書くのみだ。

以前から繰り返し書いているが、桜庭に残された時間は少ない。ただでさえ限界が近づいているその格闘人生を、FEGは終わらせようとしている。

スミルノヴァスとの試合、あれは非道かった。「大晦日の決勝戦で秋山と戦わせる」という結果が最初から決まっているがゆえに、桜庭は負けることを許されなかった、という見方は邪推だろうか。打撃でほぼ完全に失神していながら、それでも負けることを許されなかったのだ。結局最後は、殺人への恐怖か、戦意を喪失したスミルノヴァスから、失神から回復した桜庭が勝利を収める形になったが、あとでビデオを見返した桜庭は何を思ったことか。

だが、それよりもさらに非道かったのが大晦日の試合だ。あの試合も、スミルノヴァス戦のように、ほぼ無抵抗の状態でパウンドが頭部に打ち下ろされていても、レフェリーは一向に止めなかった。

ただし、一点だけ、スミルノヴァス戦と違うところがある。何か。

桜庭が、意識を失っていなかったということだ。

大晦日の桜庭は、スミル戦と違い、意識ははっきりしていた。当然だ、打撃が当たってグラウンドに倒れたわけではないのだから。桜庭は、ずっとタイムを要求し、一貫してレフェリーに抗議し続けていた。この状態で試合を止めることはできない。なぜなら、止めれば桜庭の要求にしたがってタイムをしたようになり、秋山(ヌル)の疑惑が白日の下に曝されるからだ。TKOにしたとしても、桜庭はそのまま梅木レフェリーに抗議するだろう。

そうさせないために、梅木は、桜庭が意識を失うのを待っていたのではなかったか。

死人に口無し。相手は素手の格闘家ではない。凶器を持って殴りつけてくるボディヌルダーだ。無抵抗のままあんなもので失神するまで頭部を殴りつけられたとしたら、単なる脳震盪では済まないだろう。こんな恐ろしいことが、衆人環視の元、スポーツの皮を被って行なわれていたのだ。

この不正を決して風化させてはならない。グローブ疑惑については、これが発覚すれば総合格闘技業界自体の存続に関わるから、関係者が口を閉ざしている、という指摘もある。

しかし、この不正を許している組織と、背後で糸を引いている存在とを一掃しないことには、格闘技に対する世間の偏見も払拭できないし、日本総合格闘技の健全な発展も、PRIDEの地上波復活もありえないのではないかと思うのだ。

↓桜庭はこんなにも戦っている。

▼2007年01月06日
桜庭選手は今年で38歳になります。彼はテーピングなしでは正座ができません。すぐにヒザがはずれてしまうからです。ミルコ戦で眼窩底骨折を折って以来、視界の上の部分が二重に見えています。それでも、練習と治療を平行しておこないながら、リングに上がりつづけています。グレイシーを打ち破っていたころのような華麗なムーブは、もうできないかもしれません。
Dynamite大会終了後のバックステージ、ぼくのまえを20歳前後の若者が「桜庭って弱いんだな」とつぶやきながら通りすぎていきました。
ぼくは思います。いまこそプロレスファンに応援してほしい。

 桜庭和志の“座席”は大晦日決戦のメインエベントに用意された。闘いは試合前の準備段階から始まった。桜庭は決して練習のみに専念できる体調にはなかった。ジムと平行して病院にも通った。毎日が治療と練習の繰り返し。痛めた腰に氷をあてながら帰路についたこともある。そういった日々を積み重ねながらコンディションをゆっくりと整えていった、すべては大晦日のために。そして迎えた12月31日、桜庭は珍しく、本当に珍しく現状ではベストと思える体調をつくりあげることができていた。あとは実際にリングに上がって、お客さんに満足していただけるだけの試合を提供するだけではある。メインイベントのゴングがついに鳴らされた。相手の脚が自分の両腕からヌルッと抜けた。その瞬間、桜庭が時間をかけてこつこつと築いてきたものが、すべて台無しとなった。
カクトウログ: 桜庭和志の怒りと、命懸けの記事

(櫻木)