『三国無双』という人気ゲームシリーズがある。一人の超人的な能力の武将を操作して、バッタバッタと雑兵を何百人となぎ倒す、豪快なゲーム内容で人気を博している。まさに白髪三千畳の三国志世界観をそのまま再現したかのようなアクションゲームで、人並みに三国志が好きな僕も気に入っているゲームだ。
この『無双』シリーズの最新作は、なんとガンダムだった。ガンダムと無双でガンダム無双。100機単位で群がるザクを、ガンダムがバッタバッタカマキリとなぎ倒し、ちぎっては投げちぎっては投げ…!
三国志ファンとガンダムファンは世代的に重なる部分も多いだろうし、試みとしては面白いコラボレーションだと思う。出オチのネタとしては最高だ。
しかし、どうにもこのムービーを見てみるとやるせない気持ちになってしまうんだよなぁ。
モビルスーツってのは兵器だから、こんなにわらわらと群がってこんな風に破壊されるわけがないし、ガンダムがいくら強力とは言っても、こんな物理的精神的限界を完全に超越した動きができるわけがない。(ガンダムがそもそも物理的だったかどうかという問題はさておき)
そういった、初代ガンダム原理主義者としての異議申し立てとともに、感情的なもやもやもある。MSを「兵器」という目で見ているがゆえに、中に乗っているパイロットのことを余計に意識してしまうようだ。不思議なことに、雑兵が人間として出てきて、血を吐いてぶったぎられる三国無双では気にならないのに、兵器になると逆に気になってしまうというこの不合理。
『ガンダム』(1st)の中に、ガンダムに乗りたての主人公が「あ…相手がザクなら人間じゃないんだ!」と自分に言い聞かせて引き金を引くシーンがある。あれもまさに、人間がそこに乗り込んでいることを逆に意識しすぎてしまっているセリフではなかったか。
余談だが、こんなエピソードを思い出した。
終戦直後に小学校2年生だった保阪正康氏の『あの戦争は何だったのか』によると、当時しばしば教師に映画館へ連れて行かれたそうだ。そこで見せられるのは、米軍が撮影した記録映像。米軍の攻撃によって、日本の戦闘機が次々と撃墜されていく場面で、映画館の中に拍手が起きる。誰が拍手をしているのかと言うと、引率してきた教師達なのだ。曰く、これが当時の「平和教育」。
(櫻木)
無双>Gガンダムなら気にならないぞ!
それだ!