歴史と日本

先日、靖国神社でインタビュー取材をしてきました。やはり、終戦記念日には戦中世代の姿が多く、話も聞き放題!の感がありました。僕と同じように、メモ帳片手に老人の話を聞いている若者の姿も見かけました。(「2ちゃんにでも書くつもりなら、うちのブログに投稿してくれ」とオファーしようと思ったけど、こっちも違う人に話を聞いているうちにいなくなってしまった。)


しかし、「お爺ちゃんの年齢当てクイズ」は難しいですね。戦地に行った人の話を聞くとすると、少なくとも81歳以上である必要があるんですが、ある一定以上の年齢になると、なかなか分からないものです。手のしわとかふるえ具合とか、見た感じで「この人なら」と思って話しかけるんですが、結構外れました。

しかしそれでも、戦前・戦中の初等教育を受けた世代ならではのリアルな話も聞かれました。
以下、そんな取材の収穫として得られた話の3篇です。

70歳 男性
「軍歌を歌う人も減っていくね」

――軍歌、懐かしいですか?
「懐かしいかい? 若いのに珍しいねえ。僕なんかは小学校で終戦だったから、戦地には行ってないんだけど、よく歌ったなあ。でもああいう人たち(軍歌を歌う人)も少なくなっていくねえ。」
――ああやって若い人が軍服を着たりしてるのはどうですか?
「ああいう人もだんだん少なくなってしまうんだろうねぇ…。」
――小泉さんが参拝に来たそうですね。
「来た来た。あの人は信念の人だからね。それにくらべて安倍さんはどうもダメだねぇ。」

77歳 男性
「初めて靖国に来た」

「いや、今年初めて靖国に来たんですよ。いやぁ、こんなになってるとはねぇ…。」
「テレビとかで見てたから多少はどんな様子か知ってたけど、もっとパッとしてると思ってたよ」
「仕事でなかなかこれなかったんだけど、今年はたまたま休みがあって、近くまで来たもんだからさ」
「終戦の時は15~6歳だったね」
――ではご家族が出征を?
「ウン、兄貴がね…。」

75歳 男性
「とにかく物量にやられた」

(二の鳥居付近にある記念碑のレリーフ前で)
「これは爆弾三勇士だね。小学校で習ったなあ。」
――では終戦の頃には…?
「終戦の頃には13歳だった。兵庫県にいてね、そこも空襲が非道かった。アメリカ軍はとにかく物量。油脂焼夷弾、エレクトロ焼夷弾…。駅の近くでは、死体がもうこのくらい(腰の高さ)の山になっていたよ。本土にまで爆撃機が来て、こんなものが投下されるんじゃあ、もうダメだなと思った。学校の先生は『日本は勝つ』と言ってたけどね」
――でも初期は勝ってましたよね。
「ウン。開戦の日、12月8日は嬉しかったなあ。みんな喜んだよ。どんどん勝ってね。でも物量でしょう、アメリカは。フィリピンも落ちて、とうとう沖縄まで米軍が来たとき、もうダメだと思ったね。手榴弾を防空壕に投げたり、火炎放射器を使ったり。あんなの、後からテレビで初めて見たよ。ふつうの人は知らなかったんじゃないかなあ。アメリカはあんな兵器をたくさん持ってたからね。」
――現代日本はどうですか。
「朝日とか毎日とか岩波とか、どうしてああも嘘ばかり書き立てるのか。全く信用できんね。何年か前にもあったでしょう、教科書を書き換えたとか…」
――「侵略→進出書き換え事件」ですね。朝日による全くの捏造報道でした。
「どうしてああなるんだろうねえ。戦後、僕も共産主義に誘われたよ。でも断った。嫌だよあんなの。」
「創価学会にも誘われたけど、断った。公明、民主、みんな嫌だね。ボクはずっと自民党一本だから。小沢とか全く信用ならんよ。」
「朝日にしろ岩波にしろ、どうしてああ、日本を悪し様に言うのか。もう日本もダメかなあと思ってたんだけど、最近、小林よしのりとか上坂冬子とか、若い人が対談とかしてるでしょう。彼らが若い世代が『大丈夫』言ってるから、じゃあまあ大丈夫なのかなあ、と最近思ってるけどね」
「本を読んで勉強するなら、古森義久が一番。あの人の本は好きだな。二番目が渡辺昇一。」

次は出征した人のインタビュー記録をまとめます。

(櫻木)