コラム

本日の東京は一時激しい雨に見舞われたが、雨が上がると、一転してからりと晴れた五月の空になった。

雨上がりの神保町を歩いていると、不意に目の前に日の丸の旗があった。警察署の前だった。

雨上がりの真っ青な空と、日の丸の白と赤とのコントラストがあまりにきれいで、僕は息を呑んだ。しばらくその場で無言で旗を見上げていた。


それにしても、この歳になってしみじみと思うのだが、日の丸は美しい
「私は過去の日本の忌まわしい歴史と国旗が結びついて、すなおに眺められなかった」として、戦後かなり左寄りの思想を持っていた本田宗一郎氏でさえ、このように語っている。

外国を旅行している場合など、たまたま日本人にでも逢おうものならとても親近感を覚える。殊に日の丸の旗を外国で見るときの感慨は格別だ。しみじみと日本人であることを自覚させられる。それまでは、日の丸の旗に、格別の関心は持っていなかった。右翼の国粋主義の考え方も、左翼の極端な否定も、おかしいと思っていたが、私は過去の日本の忌まわしい歴史と国旗が結びついて、すなおに眺められなかった。

しかし、こんな考え方は実にくだらん感傷だと気づいた。じんと胸をつく日本人としての自覚は、国旗を見ただけで沸いてくるのだからどうしようもない。自覚は行動を規定するものだ。国民的自覚を捨てて、国際的な感覚はもてない。優れた国際人は同時にその国の立派な国民でもあるのだ。こうした自覚が、そのまま愛国心につながるのではないかと考えた。それから私は左翼の批判がどうあれ、社に国旗を立てることを決心した。

 同時に私は、この気持ちはそのまま外国人にも当てはまることだと思い、外国からの訪問客のあるときは、社にその国の国旗をも掲揚することにした。これはすこぶる好評を博し、最近ではどこの企業でも真似するようになった。(本田宗一郎 『得手に帆上げて』p79)

日の丸は美しく、この国は愛しい。この日本の美しい国柄や歴史を守り、二度と戦後のような暗黒の時代に戻してはならない。五月の空にたなびく国旗を見て、そう思った。

実は今年になって初めて、靖国神社で国旗を買った。祝日に立てるためだ。諸事情によりまだ実際に外に掲揚するには至っていないのだが、引っ越したら「旗日に旗を立てる生活」を実行してみたいと思っている。

(櫻木)