時事問題

星野仙一は硬骨漢である。

先日、僕は「世論はマスコミが作っている」と指摘した。世論をマスコミが汲み取っている、世論がマスコミに反映されているのではなく、ただただマスコミ(特にテレビ)は、その一方通行の受動性と映像の繰り返しによる演出効果で、大衆を洗脳、誘導し、その結果を白々しく「世論」などと称して番組や紙面で紹介するという、品性の下劣なマッチポンプ活動を行っている。

年金問題の元凶である組織を配下に置く民主党が、なぜか今回の参院選、年金選挙で大勝したのが何よりの証拠だ。メディアはその総力を持って「年金問題は自民党のせいで、民主党なら解決できる」というようなイメージ操作を行ない、自分で考えるのも調べるのも面倒な大衆は、まんまとそれに踊らされた。

まさに、「世論」なるアイマイな意識調査は、マスコミが作り出した結果をマスコミが再整理しているにすぎない。

しかし、そんな腐った環境をまさにマスコミの側から痛烈に指摘したのが、野球監督の星野仙一氏だ。

星野仙一・公式サイト

民意、民意というけれど、今の日本の「民意」というのはメディア、特にテレビが作っているものじゃあないのか。10年ちょっと前に民放の報道局長が「政局はわれわれテレビ局の人間が作っている」というような発言をしてクビになったことがあるけれど、テレビが繰り返して流すものによって無定見な大衆が誘動されるという今の時代。
民意というものはなんなのかと、いつもそう思ってテレビのニュースを見ている。

民意というなら訊いてもらいたいと思う。なにひとつ落ち度や欠点のない精廉潔白な人に大臣や首相をやってもらえばいいのか。それとも多少の失敗やキズ、弱点があってもきちんと結果を出してくれるような有能な人、職責に身命を賭けて努力してくれる人がいいのか。
普通の大人なら、政治家にだって精廉潔白な人なんて滅多にいないことを知っている。
誰しも一個の人生を築いて、それなりの力を発揮するところまで行く過程の中でなんの波風もない、ひとつの過ちや落ち度も犯さないような人間なんて、まずひとりもいないことを、普通の大人なら知っている。出てくれば自分たちで持ち上げて、押し出しておきながら、すぐにマイナス面、うまくいっていない面ばかり強調して、叩いて潰していくという最近の政界人事の繰り返しに、大きな失望感を味わっている。

若い安倍総理もあれだけ期待され、国民にも支持されながら、1年足らずのうちに、今度は決断力がないとか、人を見る目がないとか坊ちゃん気質だとか、ひとりで全責任を負った上バカ者扱いをされて、あっという間にボロボロになって辞めさせられていく。自分から辞めたという形ではあるけれど、心身ともに余程追いつめられていたのだろう。タイミングが悪い、無責任だというが、本人は命懸けでやっていただろうと思う。
この間まで日本人の「武士道」や日本人の「品格」についての本がベストセラーになって、多少は武士の情けや人間の品位を問い直す風潮が出てくるのかなと、淡い期待ながらそんな思いでいたのだが、寄ってたかって魔女狩りみたいな、弱い者いじめの世界ばかり見せられている。

「出る杭は打たれる」は昔のことで、今は「出る杭は抜かれる」時代だ。倒れた者になおのしかかって、パンチを浴びせ、ひねりワザまでかけるようなマスコミの報道の偏りに、世間の態度に、わたしもテレビに出ている人間だが胸くそが悪くてたまらない。

正体がすぐに揺れ動く、すぐに風向きが変わる民意とやらを、テレビが一斉に拡大し強調して、そうして世の中が動いていくのだとすると、日本は「勝手主義」の時代になったとしかいうほかない。

痛いニュース(ノ∀`):「テレビが作る“民意”って何?大衆が誘導される今の時代」「報道の偏り…、胸くそが悪い」星野仙一氏が語る

これはすばらしい。全く付け足すことも削ることもない。この発言に対して、「そのテレビの寵児として人気を得た男が何を言うか」だの「野球こそテレビで誘導していたではないか」などの謗りは全く無意味である。それを自己批判的に、テレビの世界の人が指摘するからこそ意味も影響力もあるのだ。
それにそもそも多かれ少なかれ、正論なんてものは自分を棚に上げなければいいようがないではないか。今の時代に足りないのは、私利私欲ではなく、天下国家の観点から正論を語れるオッサンである。

(櫻木)