歴史と日本

1941年秋、英国自治領ビルマの首相ウ・ソーは、英国首相チャーチルを訪ね「英国の為にビルマ兵を戦場に送る代わりに、ビルマの独立を認めてほしい」と申し出た。しかし人種差別者のチャーチルには相手にされなかった。

そこで、民族自決を謳う「大西洋憲章」を書いたルーズベルト米大統領に会いに行ったが、 アジア人蔑視のルーズベルトは会おうとすらしなかった。当時は力が支配するのが常識の世界。話し合いでせっかくの植民地を放棄するような国は存在しなかった。ウ・ソーは仕方なく、ハワイ経由で帰ろうとしていた。

ここで、ウ・ソーは、歴史が動いた瞬間を目撃することになる。

ホノルルに着き、搭乗便を待っていた彼は12月のある朝、ウ・ソーは異様な轟音に驚いて窓の外を見た。そこには日の丸をつけた無数の戦闘機が舞い、黒煙の立ち上る真珠湾に、基地に襲いかかっていたのだ。

ウ・ソーが見たのは、自分達と同じ肌の色をした日本人が、白人の力と英知の象徴とされた飛行機を操り、絶対者であった白人を叩きのめしているという信じがたい光景だった。
おびえて逃げ惑う白人の表情も彼にとって初めて見るものだった。
彼は帰国後、日本に「満州国と同じように、大日本帝国の保護下に入れて欲しい」と申し出ている。

1941年12月8日。この日は、日本帝国海軍機動部隊が真珠湾を攻撃し、大東亜戦争が勃発した日である。この日は、当時の日本にとって、いや世界にとって大きな衝撃を与えた。

詩人の高村光太郎は、その日の興奮をこう表している。

記憶せよ、十二月八日

この日世界の歴史あらたまる。
アングロ・サクソンの主権、この日東亜の陸と海とに否定さる。
否定するものは我等ジャパン、すがめたる東海の国にして、そを治しめたまふ明津御神あきつみかみなり。
世界の富を壟断ろうだんするもの、強豪米英一族の力、われらの国において否定さる。

我らの否定は義による。
東亜を東亜にかへせといふのみ。
彼等の搾取に隣邦ことごとく痩せたり。
われらまさに其の爪牙そうがくだかんとす。
われら自らの力を養いてひとたび起つ。
老若男女みな兵なり。
大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。
世界の歴史を両断する十二月八日を記憶せよ。

高村光太郎

このころの時代の空気と、“日米開戦”というのが当時どのような衝撃をもった事件だったか、ということが伝わってくる、激しく熱い詩である。
日露戦争の立役者、秋山真之の著書『天剣漫録』に、こんな一説がある。

「敗くるも目的を達することあり。勝つも目的を達せざることあり。真正の勝利は目的の達不達に存す」

これはまさに戦争の本質を言い当てた一句であり、天才戦略家の秋山らしい言葉といえる。

戦争の勝利が目的の達成にあるとするならば、「人種の平等」「西欧列強によるアジア植民地の解放、大東亜共栄圏(東アジア共同体構想)の確立」を目的とした日本の戦争は、歴史的観点からは勝利でもあり、そのきっかけとなった開戦記念日が12月8日なのだ。

そのことを裏付けるように、タイのククリット・プラモード首相は、『十二月八日』と題する文章で次のように述べている。

日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米・英と対等に話しができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。

12月8日は、われわれにこの重大な思想をしめしてくれたお母さんが、一身を賭して重大決心された日である。われわれはこの日を忘れてはいけない。

ククリット・プラモード元タイ首相

太宰治は、次のように静かな感動を記している。

十二月八日。早朝、蒲団の中で、朝の仕度に気がせきながら、園子に乳をやっていると、どこかのラジオが、はっきりと聞こえてきた。

「大本営発表。帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」

しめ切った雨戸のすきまから、まっくらな私の部屋に、光のさし込むように強くあざやかに聞こえた。二度、朗々と繰り返した。それをじっと聞いているうちに、私の人間は変わってしまった。強い光線を受けて、からだが透明になるような感じ。あるいは、聖霊の息吹を受けて、つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような気持ち。日本も、けさから、ちがう日本になったのだ。

坂口安吾は、

僕はラジオのある床屋を探した。やがて、ニュースがあるはずである。客は僕ひとり。頬ひげをあたっていると、大詔の奉読、つづいて東条首相の謹話があった。涙が流れた。言葉のいらない時が来た。一兵たりとも、敵をわが国土に入れてはならぬ。

と語っている。日本中が、いやアジア中が衝撃と感動に包まれた日だったのだ。

12月8日、開戦記念日。「終戦記念日」と対になるべきこの記憶すべき日について、また、当時を体験した彼らの言葉に対して、あなたは何を思うだろうか。

(続きます。→12月8日を記憶する人々の声

(櫻木)