時事問題

徴兵制についてのエントリを、id:fujipon先生に取り上げていただきました。

朱雀さんが『フルメタル・ジャケット』を観て、本当に

短期間でもハートマン軍曹のような上官にしごかれ、「国防意識」の片鱗を若者に抱いてもらうのは、自衛隊が教育コストを背負い込む意義として少なくはない

と考えておられるのならば、「正気ですか……」と思わずにはいられません。いや、僕があの映画を観て感じたのは、「軍隊っていうのは、精鋭になればなるほど、基本的に『自分が所属している軍隊という組織そのもののため』にしか戦わないものなのではないか」ということだったので。軍隊って、訓練されて、「優秀な兵士」になっていくほど、「命令に忠実に従うマシーン」と化していくので、「家族のため」とか「国のため」というような「情緒的な戦う理由」って排除されていくものなんですよね。
フルメタル・ジャケット/日本に徴兵制が必要? – 琥珀色の戯言

うーん。まあ、「正気か?」と問われれば、「朝日に匂ふ山桜花」とでも答えるしかないのですが…。
確かにあの映画を、というかハートマン軍曹を画面越しに見てる分には「ひでぇ…」と引きつり笑いを浮かべながら見ていればすみますけど、自分があのシゴキに耐えることを考えたら決して楽しくはなさそうです。実際あの映画では、シゴキ抜かれたある青年が、最後には○○して○○を○○してしまうのですから。

でも、『フルメタル・ジャケット』を見ただけで「軍隊とは、自分が所属している組織そのもののためにしか戦わないもの」とイコールで決め付けてしまう態度には、僕も「正気ですか……」と思わずにはいられません。

軍隊という特殊な集団が、戦争という極限状態の中で発露した奇跡や英雄譚は、その対象である負の側面の悪夢と同様に、世界中でいくらでも語り継がれているではないですか。神話から今に至るまで、英雄譚の王道は戦士の物語です。

徴兵制、軍隊と言っても色々なパターンがあります。id:fujiponさんが指摘されるように、例えば韓国なんて、徴兵制があるからといって若者が、社会が立派になっているかと言われれば、苦笑するほかありません。

軍隊というのは、その国の科学力、モラル、民度などが象徴的に反映された結晶です。だからこそ、世界一規律を重んじた明治の日本帝国軍は、世界の賞賛を受け、夢物語だったはずの日英同盟の締結に漕ぎ着けることができたわけです。このことは例えば内田樹氏のブログでも少し触れられています。(柴五郎のこと

逆にモラルの崩壊した例として、『フルメタル・ジャケット』でも描かれているベトナム戦争で、アメリカ軍と共に出兵した韓国軍が、現地でどんな災厄を撒き散らしたかを説明する資料も沢山あります。

そして、徴兵には次のようなパターンが考えられます。

1.自国の防衛、あるいはその延長線上にある戦争のために徴兵
2.現在戦争状態にはないが、制度として訓練を受けるための徴兵
3.自国の防衛とは関係なく、外交的理由のために起きた戦争のために徴兵

1は、例を挙げるなら日露戦争や大東亜戦争のようなケースです。
2は、現在多くの国で敷かれている徴兵制です。訓練を終えた人は予備役兵として、予備の兵力として確保されます。
3は、いわゆる侵略戦争、太平洋戦争やベトナム戦争のようなケースです。

『フルメタル・ジャケット』で描かれているのは、まさに3のケースであり、そこに「家族のため」というような情緒的な理由があるわけがありません。
逆に、大東亜戦争で、アジア・アフリカで起きた独立戦争で、多くの悲劇と同時に、人類の輝かしい物語が多く現出したことも事実です。

ただ、よくよく考えてみると、僕の言っている徴兵制はファンタジーなんですね。「サムライ」とか言っているのと同じで、僕は明治や昭和初期の雰囲気に憧れているだけかもしれません。徴兵制が今後日本に復活することはまずないでしょう(少なくとも今世紀中は)。ただ、東国原知事のような年齢の人がこういう発言をすると「自分は行かないくせに」といわれてしまうのが常なので、まだ徴用され得る年齢であるうちに心情を書き留めておこうと思ったわけです。

しかしながら、最後に引用されている内田樹さんの文章については、僕は戦後民主主義がそこまでご大層なものとはどうしても思えないのでピンと来ません。

また、最後にid:fujiponさんは僕らにこんな問いを投げかけています。

たぶん、若者がダメでいられる社会って、ものすごく幸福なんだと思います。もう、そんなヌルい時代にみんな飽きちまったのか?

その幸福は、祖父の世代の屍の上に成り立つ、父の世代の経済的繁栄、のさらにその上になんとか乗っかってるだけのこの秩序のことでしょうか。

まあ世の中が真に平和ならばそれにこしたことはないですが、子が親を刺したり、親が子を殺したり、ゴキブリが揚げられたり、中高生が売買春したり、“外国人”が荒らしまわったり、「性奴隷」などという謂われ無き国際的侮辱にも政府が完全沈黙しているような「ヌルい」時代に飽き飽きしていることは確かです。

(櫻木)